VOL.53 インド(51) 南インド旅の終わり (2) IR 94/03/11
その夜、私は宿の部屋でパトリックに告げた。
「パトリック、僕たちもバンコクへいくことにしたよ。僕はタイの飯を食って、落とした体重を取り戻すことにしたよ。どうする?バンコクまでいっしょに行動するかい?」
「もちろんだ。マンフレッドとアントニアもカルカッタからタイへ行く事になった。同じ飛行機になるかどうかわからないけど、バンコクの宿は一緒にしようと思っているんだ」
私達は四人から六人になり、なんだか思いもしなかったにぎやかな旅にかわっていった。
そのつぎの日、宿から二キロのセントラルレイルウェイステイションへカルカッタ行きの切符を買いにでかけた。巨大な建物の中には、切符売り場の窓口がカウンターにズラリとならび、整然としている。人々が窓口へ殺到するいつかみた光景はここにはない。カウンターの中をのぞくと、驚いたことにオンラインの端末があった。停電したらどうなるのだろうか。街が停電しても、鉄道には電気がまわるのかも知れない。
階段を上った二階にある外国人専用の窓口へ行くと、すでに四、五人の白人ツーリストが順番を待っているところだった。私達の番になり、係員が何度か端末にアクセスした結果、四日後のハウラー(カルカッタ)行き二等寝台を予約することができた。しかも、イボンヌの熱心な交渉の結果、車両のなかに一つだけあるコンパートメントをとることができた。カルカッタまでは二泊三日、約三十時間の長旅だ。日本の寝台列車と同じように、寝るときは一人ずつベッドのスペースを確保することができるが、昼間は他のお客も乗り込んできて、座席もベッドも空いているところはすべて人で埋まることもある。だから荷物の安全を考えると、個室がとれたことは本当にラッキーだった。
この寝台列車には荷物車があり、自転車や大きな荷物はここに積む事になる。座席を予約するときに申し出ると、切符を発行してくれた。ハウラー駅までかかった費用は、一人二五七ルピーと自転車一台一〇〇ルピー。(合わせて一三〇〇円)。もしカルカッタまで自転車でいくと、一カ月の時間と、一人三〇〇〇ルピーの生活費がかかる。自転車の旅は、たとえそれがどんな貧乏旅行であっても、時間とお金をかけたぜいたくなものだとあらためて思った。
出発の日、夜六時に駅の一番端にあるラゲッジオフィスに行き、荷物を外して自転車をデポする。ここには巨大な荷物が台車に乗せられて集まってくる。私たちは係りの人が自転車を荷物車に積み込むまでの三時間あまり、交代で自転車の見張り番をした。自転車は鍵をかけずに置いてあるので、盗難にあっても不思議ではないからだ。こういう場合、荷物のセキュリティは非常にあいまいだ。荷物の紛失事件がどれだけおこっているのか知らないが、自分の目の届くところではできるだけ見ているのが一番だ。列車に正しく積まれたかどうかも見届ければ、その後の汽車の旅を心から楽しむことができる。発車の直前で荷物車の中をみせてもらった。案の定、四台の自転車は不安定な状態に置かれてあり、ちょっと揺れれば荷崩れして、大きな荷物の下敷きになるところだった。私は中に入って荷物を平に積みなおした。
「ファーン」
夜一〇時、私達をのせた夜行列車は、汽笛とともにセントラル駅のホームをゆっくりすべりだした。車窓から見える街の明かりは、しだいに少なくなり、やがて闇にとざされた。近づいては遠ざかる踏切の警報音が、南インドの旅の終わりを感じさせた。これまでのさまざまな場面が瞼に浮かんでは消えていった。
次回へ→