VOL.47 インド(45) 94/02/26 マドゥライからプダコタイへ (2)
パトリックのいうマインド、つまり精神的なものとサイクリングは、密接な関係にある。簡単に言うと、走っていてつらくなってきたとき、自分に潜在している精神的な弱さが、表に現れるということだ。
急に機嫌がわるくなったり、短気になったり、何かがとりついたように低級な人格を現す。特に海外でリスクの高い悪条件のなかで苦しんでいると、心のなかにさまざまな悪い想念が去来する。それは皆で決めた事に対する不満であったり、パートナーへの嫌悪感であったり、現場の物に形をかりて現れてくる。人に対する不信、怒りに始まり、環境に対する恐怖、さらには両親に対する思いや自己嫌悪までそれこそありとあらゆるネガティブな思いが、尽きる事なく現れてくるのだ。この心のメカニズムを各自よく把握して自分をコントロールしておかないと、チームは簡単に分裂してしまう。
私は幼い頃友人と自転車で旅にでたとき、このことを思い知らされた。パトリックはヨットレースの過酷な体験を通し、逆境での人間の行動パターンを学んだという。一方イボンヌは、今回のインド旅行がはじめてではなく、これまでにヨーロッパをはじめとしてかなりの距離を走破し、さまざまな経験を積んできている。しかし経験の量が心の強さに比例するとは、一概にいえないようだ。大事なことは、自分の心がネガティブに落ち込んでいくパターンを読みとり、心の動きに先回りして対処することであると私は思う。
人間の心は、残念ながら、自分で思っているほど強くはない。いわゆる平常心を保つのは、思ったよりむつかしい。力強く天までわきあがる夏の入道雲も、ひとたび天候が変われば、風に流され消えてゆくのと似ている。ふだん何不自由のない日常を送る私たちが、非日常の連続ともいえる旅をゆとりをもって続けるためには、自分の心の働きを把握しておくことが大切だ。
それではこころがネガティブに落ち込むのを、どのようにして避ければよいだろうか。私は脳裏に湧いてでてくる想念を、自分の本来の意思とは別のものとして、モニターをながめるように客観的にみることにしている。次からつぎへとでてくるマイナスの思いを、もう一人の自分が冷静に見る事によって、いつも繰り返す心のパターンを読みとるわけだ。天気が悪かったり体調がすぐれないと、朝からろくなことを考えていないことがよくわかる。(あーこれはいつものおきまりのパターンだな)と思う事で、実際に落ち込んだり不愉快な気持ちが表情にでるのを、避けるようにするのだ。心のなかでは、あることをめぐってだれかと口論していても、休憩で顔を合わせる時は、「いい景色だねぇ」といえるくらいがよい。これはちょっと二重人格めくが、頭のなかで煮詰められた感情をいちいち人前に出していてはきりがない。
ふたつめの方法として、まめにエネルギーを補給することだ。(もうきょうは走る気がしないよ)といった後ろ向きの気持ちが、バナナを食べただけでうそのように消えることがある。私はこういう時、自分の思いは個性などではなく、脳内の化学物質の作用によるものだと考えている。何を食べたらどう効いたという経験をくりかえして覚えるのもよい。本や雑誌の記事から、栄養素が体内でどういう働きをしているか知る事もできる。補給のコツは、休憩をまたずにのりながらとれるようにすることだ。(腹がへったー。どこかに良い場所がみつかったら何か食べよう)などと思って一〇キロも走っているうちに、脳味噌がエネルギー切れになることはよくあるパターンだ。疲れているときに目的地の町が近づいてくると、補給するのが面倒になって、そのまま走ってしまうことがある。判断力の衰えた状態で、危険な大都会の雑踏に突入してしまうと、結果は目に見えている。食事と栄養の補給は別の事と考え、いつでも口に放り込めるようにしておくと、いくら走っても疲れないサイクリングができる。
もうひとつは精神を鍛えてしまうということ。あの時に比べたら、こんなのはどうってことないよと言えるような経験を多く積む事だ。私は何かに耐えてあえてきびしい状況を乗り切ろうとするのなら、この方法には反対だ。インドの交通事情に耐えることで、パキスタンを楽に走れるようになるとは思わない。それどころか、これは経験するほど敬遠したくなるのが、正直なところだ。私たちは後にニュージーランドを走ったとき、多くのサイクリストと出会った。その中には野宿と自炊をしながら一〇〇キロ以上移動し、その日に周辺のトレッキングも楽しんでしまうような一人旅の女性がたくさんいた。こういう人たちと一緒に走ることによって、自分が思いこんでいた体力などの限界が、いかに過小評価で根拠のないものかよくわかった。サイクリストの天国と言えるニュージーランドとインドを、一概に比較はできない。けれども、もし私たちがニュージーランドを走ったあとでインドに来ていたとしたら、あきらかに心身ともに、今とは違う鍛えられた状態で走っているだろうと思う。
「あれはホテルなんかじゃなかったわ」
イボンヌが残念そうな顔で戻ってきた。
「道はフラットだし、風もない。プダコタイまで楽にいけるさ」
パトリックがイボンヌをはげました。私たちは再びペダルをふみ、どこまでも続く田園地帯の一本道を辿った。
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