「旅行記」
トラベルメイト
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リロとハツキの自転車旅行

 

VOL.46 インド(44) 94/02/26 マドゥライからプダコタイへ (1)

その後、私たちは郵便局へ行ったり、日本に電話をかけたりとあわただしい時をすごした。二泊でじゅうぶんだというパトリックの意見を、多数決で押し切って、結局マドゥライでは三泊した。

私たちは、あの有名なミナクシ寺院にも行ってみた。正面に巨大なゴプラム(塔門)がそびえる参道の両側には、さまざまな店がたちならび、活気に満ちている。カメラをさげて、みやげ物屋の軒先をひやかしながら各国の観光客に混じって歩いていると、京都あたりを見物しているようなホリデー気分になってくる。観光地ではいいことがないと文句をいってはみたが、田舎では人の視線が集中し、とてもリラックスして歩けない。たまにはこんな休日をすごして、旅の仕事から解放されるのも必要なことかもしれない。  

翌二六日、私たちはベンガル湾に面したマドラスにむけて、進路を北東にとった。ガイドブックの地図にでている地名で、ここからもっとも近いところは、一一〇キロ先のプダコタイだ。インド製の道路地図によると、プダコタイにいたるルート上に、メルア、ティルパトゥア、ティルマヤムの三つの地名が記載されている。ガイドブックには、その地名はおろか道路もでていないので、このルートはとてもローカルなコースであることが予想された。

「きょうは一一〇キロ走るかもしれないからゆっくり行こう」

そういうパトリックにたいして、イボンヌは浮かぬ表情だ。ふだんから一〇〇キロ走っていれば、たいした距離ではないのだが、毎日七、八〇キロしか走っていない私たちにとっては、ちょっと遠く感じる。しかし実際に走り始めてみると、予想に反してこれまでにない楽しいサイクリングとなった。道はほとんど平坦で風もなし。周囲は牧歌的な田園風景が続く。幹線ルートからはずれているせいか、交通量も少ない。そのせいか疲れの度合いも少ない。ふだんの疲れは、ストレスからきていることがよくわかる。  

インド製の道路地図にでていた三つの地名は、町というほど大きくなく、道からながめた限りでは、ホテルのあるような雰囲気ではなかった。その集落を抜けると、道は再び広い田園地帯へ続いていた。

「ちょっと見てくる、あれは宿かもしれないわ」

イボンヌが丘の上の建物を指さして道をそれて走って行った。長距離の苦手な彼女にとって、適当な宿をみつけることが最優先だ。一方、一一〇キロと決めてしまえばそのことに専念して、あえて道をそれてまで宿を探そうと思わないのが私たち三人の考えだ。田舎に選べるほどの宿があるとは思えないし、探す時間と労力が惜しい。

「ここで探すより走っちゃったほうが楽だと思うけどねぇ。町につけば宿も食堂もいっぱいあることだし」

私がいうとパトリックは腕組してうなづいた。  
イボンヌは体力の消耗に関しては少々神経質だ。ベジタリアンの彼女にとって、食べられるものが限られることも理由の一つになる。けれども彼女にとって、菜食主義のインドは、どの国よりも旅行しやすい国ともいえる。

「きみは体力はある。おそらくこのメンバーのなかで一番だろう。だけどマインドが弱いんだ、ここだよ」

私は、パトリックが人差し指を自分の頭に指して、イボンヌにいいきかせているところをなんども見かけた。これはずっとあとになって、私たち四人がタイを走っていたある日の事だ。ある日、一四〇キロの行程を走っているとき、イボンヌが子供のように機嫌が悪くなり、道端で泣き出してしまったことがあった。タイでは、彼女が食べられるものも少なく、言葉もまったく通じなかったりで、お互いに色々と苦しい状況ではあった。私はタイでのサイクリングを中止して、何か他の事を選択したほうがよいと彼らに進言した。ところがパトリックは、イボンヌの精神状態が快復していないにもかかわらず、計画を変える様子をまったく見せなかった。その上、イボンヌはより困難なラオス国境付近の山岳ルートを、彼女自身で選んだのだ。

彼女の場合、ふだんはまったく問題ないが、いったん走り出して苦しくなると、内面の弱い部分が現れる典型的なタイプだったのだ。パトリックもそのことを良く知っているから、旅行を中止する事など初めから考えていなかった事をあとになって私は知った。

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