「旅行記」
トラベルメイト
監修・編集

リロとハツキの自転車旅行

 

VOL.43 インド(41) スリビリプタールからマドゥライへ (1) 

マドゥライまであと数キロ、という所で私は子どもをはねてしまった。正確に言えば子どもが私の前輪に突進してきたのだ。インドのいなか道に横断歩道などというものはない。歩行者は車の通行状況を見ながら、ゆるりゆるりと道を渡っていく。この時も六、七才の男の子の手を引き、赤ん坊を抱いた母親、そしてその子ども達の父親とおぼしき男の子四人連れが、ゆっくり道を渡ってきていた。彼らは交通の流れを読みながら道の半ばに立って、渡りきる機会をうかがっていた。

折しも理路が通過し、その後を私が続いていた。私は道の半ばに立つ家族と、アイコンタクトをとった。男の子とも視線を交わしたその直後、彼は母親の手をふりほどき、悪魔のようなうす笑いを浮かべて、私の前にとびだしてきた。私のブレーキは間に合わなかった。彼は前輪の真横にぶつかり、二人とも転倒した。子どもは大声で泣きだした。

後から走ってきたイボンヌとパトリックが大急ぎでやってきて、
「早くこの場から去れ」と私に怒鳴った。
彼らは子どもの無事をたしかめると、両親にくってかかった。子どもの手を握っていないなんて、大馬鹿だ。何を考えているんだ、と。私はパトリックにどやされて先を急いだので、このやりとりを最後まで見届ける事はできなかった。それにしても二人とも、すごいけんまくだった。  

こうしたトラブルの場合、いくら先方に非があったとしても、異邦人である我々は分が悪い。いつのまにか大勢のインド人が集まってきて、外国人狩りに発展しかねない。私達はそこまで深刻な事態に遭遇した事はない。パトリックは棍棒をふりまわしての大立ち回りを何度か演じていると言っていた。  

数日前にケララ州でこんな光景にでくわした。私たちはポタリングを楽しみながら、ヴァルカルへと向かっていた。途中、粗末な建物のチャイ屋へ立ち寄り休憩をした。店の前の通りを、魚を積んだ漁師の自転車が通過しようとした時に、小さな子どもが自転車めがけて飛び込んだ。当然、子どもも漁師も派手にコケた。子どもは大声で泣き叫んだ。この時、子どもの背後には老女がいた。老女は漁師に食ってかかった。私には子どもの行動が理解できなかった。目の前を通り過ぎようとしている自転車に突っ込んで行くなんて。まして大人が一緒についていたのだ。騒ぎは次第に大きくなって人が集まってきた。漁師は老女に向かって何かを罵りながら、お金を渡していた。実は私たちの寄ったチャイ屋はこの老女の店だった。いなかの店としては、随分法外な金額を請求してきた記憶がある。  

事故現場から二キロ程離れた所で、私たちは再び落ち合った。そこでパトリックは、とてもやさしい表情で私に言った。

「さっきは怒鳴ったりして悪かった。ああした場合、当事者であるハツキがいると、騒ぎが大きくなって、まずい事になる可能性が高いんだ。君に非はないさ。子どもにも怪我はなかった」

イボンヌも言う。
「まったく馬鹿よ。どうして子どもの手を離したりしたのかしら」

私は急に涙が流れてきた。

再びパトリック、
「事故の直後は何が起こったのかよくわからないものさ。ショックは後からやってくるんだよ」  

再び私たちはマドゥライを目指して、走り始めた。町はいよいよ混沌としてくる。子どもをはねてしまった事とパトリックの気遣いとが相まって、私はだんだん混乱していった。ツーリングは楽しい。だが、インドのような所では皆、精神的にも肉体的にも厳しい状況に置かれている。こんな場面で相棒がトラブルを起こせば、彼(または彼女)を責めはしても、フォローをする余裕などない方が普通なのだ。理路は何も聞かずに「良く見ていないからだ」と一方的に私を責めるだろう。それなのに、知り合って間もないパトリックは、どうしてこんなに暖かいのだろう。人生経験のなせる業なんだろうか。パニックの頭をかかえ、慣れないやさしさのシャワーを浴びて、私の涙は止まらなくなってしまった。こんな私に皆は手を焼いていたようだ。私はそんな胸中をうまく言葉にできず、あの時の涙の理由を知っている者は誰も居ない。  

その後、パトリック、イボンヌとはタイも一緒に旅行した。長くつきあえばつきあうほど、お互いのキャラクターを知る事になる。彼らはお互いに強く自己主張しあい、派手にぶつかりながら、旅行をしていた。ある晩、例によって二人は派手なけんかをした。翌朝、イボンヌと話をしていたら、彼女はポツンと言った。

「彼は何でも過剰なのよ。愛情も憎しみも。私はいつもそんな彼に泣かされている」

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