「旅行記」
トラベルメイト
監修・編集

リロとハツキの自転車旅行

 

VOL.40 インド(38) 峠を越えてタミルナード州(理路) 1

「バイバイ、気をつけて行ってきてください」

レストハウスの家族が玄関まで出て、私たちを見送ってくれた。  

目の前に、きのう下った坂道が、空に向かってうねうねと続いている。私は熱がさがったとはいえ、体がまだ温まっていないところで、いきなり急坂を登るのは、少々不安なものがあった。しかし、そんなことをいっても始まらない。 「ウォーミングアップにちょうどいいや」 わたしは強がりをいって、先に登り始めた。  

峠を越え、私たちにとって四番目の州タミルナードゥ州に入った。ガイドブックによると、この州はもっともインドらしい所だと書かれている。ムスリムやアーリア人などの異なる文化は、このインド亜大陸の南端まで影響を及ぼさなかった。そのため、ヒンドゥー様式の文化が二千年以上の時を経たいまでもそのままの形で伝えられているという。  

人々の話し声は、ケララできいたものとは違って聞こえ、店の看板は、見慣れないタミル語の丸い字体にかわっている。ゆっくり移動する自転車の旅では、こんな文化の違いを、面白いほど体で感じることができる。

「リロ、今日は先頭を走らず、ずっと再後尾にいるといいよ」  

下り坂が終わり、平地が続くようになると、パトリックが私の体調を配慮してくれた。これから先のことを考えると、ここは慎重に走り、体調をベストに戻したほうがよい。

数時間後、カダイヤナルアという町に到着した。レストハウスから五一キロの距離だ。人の多いメインストリートとおぼしき通りには、ゴミが散乱し、両端のドブが異臭を放つ。とても一般の旅行者が立ち寄るような、雰囲気ではない。しかし、こんな町でもホテルはあるのだ。  

地元の人に教わるままに、表通りから一本路地を入ると、そこには真新しい二階建てのホテルがあった。それはちょうど日本のワンルームアパートに似たつくりだった。宿の主人はどこにいるのだろうか。中央にある階段の踊り場には、板で仕切がしてある。板の中を覗くと、中で中学生くらいの少年が寝ていた。

「ハロー、昼寝の所すまないねぇ。部屋はあいてるかい?」

パトリックが尋ねると、少年は反射的に起きあがって鍵を取り、私たちを二階に案内した。見慣れない白人と東洋人をまのあたりにした割には、行動がすばやい。

「彼はまだ寝ぼけてるよ」

パトリックがにやにやしながら私にささやく。部屋は狭かったが何より新しくきれいなのが良かった。

「ハウマッチ?」
「・・・・?」

少年は目がさめたのか、今度は私たちの英語がわからない様子だ。私たちは紙をとりだし、数字をかいてもらうことにした。

「五○RS(ルピー)」

私たちは顔をみあわせた。これまでに泊まった宿と比べると、特に高いわけではない。けれども、それは観光客の多い幹線道路沿いでの話しだ。こんないなかの町でも、同じような値段がするのだろうか。

「まあ、わからないけど、この子がぼっているようには見えないな」
私はパトリックに言った。
「オウケイ、ここに決めよう。じゃ、ふた部屋で一○○ルピーだ」
私たちは部屋代を少年に支払うと、外で待つ二人のところに戻った。

「いくらだったの」
イヴォンヌがパトリックに尋ねる。
「フィフティだ」
「どうする?」
「あ、いや、もう払った」
「・・・・」

イヴォンヌは、「もうきめちゃったわけね」と言いたそうな顔をして、荷物をはずしはじめた。私は、彼女がいつも宿を決めていたことを思い出して、思わず苦笑してしまった。  

荷物と自転車を担ぎ上げ、いつものように、洗濯物を干すためのロープを部屋に張る。シャワールームに入り、おそるおそる足から水を浴びてみた。やはり多少の寒気がするが、きのうほどではない。汗もかいたので、しっかりシャンプーしてさっぱりした。  

私は旅をすることで、いままで持っていた生活上のこだわりから、少しは抜け出ることができたと思っている。しかし、どうもフロと洗濯だけは、なしにすますことができない。毎日、汗とほこりにまみれた後は、必ずシャワーを浴び、その日着た物は洗濯する。翌朝は必ず洗いたての服をきて、新しい気持ちで一日をスタートする。こうした規則正しい生活のリズムは、心身の健康を保つために、大切なことだと思う。しかし、そうしないと気がすまないということになってくると、脅迫観念となって心の自由を失いかねない。考えてみたら、生まれたときから風呂はほとんど欠かしたことがなかった。

一方、パトリックやイヴォンヌは、洗濯を毎日しない。私たちは、自分達が洗濯やそのほかの細々した仕事を忙しく片づけている間、彼らが本を読んだりしてリラックスしているのをよく見かけた。

「今日は洗濯しないの?」
ときくと、イヴォンヌは脇の下に鼻を近づけて、
「まだ大丈夫」などという。

翌日彼らは汗くさいシャツを着る事になるのだが、二日くらいなら、洗濯しなくても気にしない事にしているという。  

私はそんなイヴォンヌの物にこだわらない性格をちょっぴりうらやましいと思った。自転車で旅をする者にとって、一日はあまりにも短い。しかし、だからといって生活の雑事に追われて、気をとられてしまうと、大事なものを見過ごしてしまうことになりかねない。  

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