「旅行記」
トラベルメイト
監修・編集

リロとハツキの自転車旅行

 

VOL.37 インド(35) 恐怖のヒートストローク 3

やっとのことでたどりついた峠は、三叉路になっていて、意外にも人通りの多いにぎやかな所だった。ざっと見渡したところ、果物やみやげ物の屋台は数軒でているが、私たちに必要な食堂や市場はみあたらない。私たちが向かっている方向とは別にもう一本道が坂をくだっていた。

「この坂の下に湖があってそこにはレストハウスがあるらしいよ」

パトリックが宿の情報を店の人からききつけてきた。私たちはその急な下り坂をしばらく無言で見つめたあと、お互いの顔色をうかがった。皆、宿に空き部屋がなかった場合のことを考えているのだ。その時はこの道をまた登って来なくてはならない。体力の面では、まったく問題はない。しかし八〇キロと峠ひとつ終えたばかりの私たちの脳裏には「よくがんばりました、あとはくだるだけです」というサインが点滅しているのだ。こころの隅から聞こえてくる不満の声と、折り合いをつけるには、少々時間を要する。

「よっしゃ、いってみっか」
スキーのジャンプよろしく私が最初に坂をおり、皆が後につづいた。メーターはすぐに時速六〇キロをさした。 (うわーどこまで下るんだ!)あとでまた登ることになる坂を駆け降りる時はいつも悲鳴をあげたい気持ちになる。  

坂をおりた所には平地がひろがっており、同じ形をした建物がいくつも建っていた。家には人が住んでいる気配はなく、なかには朽ち果てているのもある。その中の道に面した一軒には、人が住んでいる様子だ。ここで宿の場所を尋ねてみたら、なんとここがレストハウスだった。さいわい泊まり客はなく、私たちは今夜のベッドと食事にありつくことができた。

「ダム建設のときは、このあたりはそりゃぁもうにぎやかなもんでしたよ」

宿の主人は奥さんと一緒に私たちの食事の支度をしながら、昔話を話し始めた。まわりにある同じ形の家は、当時、建設に携わった人たちの宿舎だったという。工事が終わった今となっては、ダムの関係者が訪れるだけで、すっかりさびれてしまったとこぼす。

私は一足先にシャワーを浴びることにした。服を脱ぎ、いつものようにシャワーの水を足にかけた瞬間、ぞくぞくっと背中に悪寒が走った。(おかしい、体が変だ)上半身に水を浴びると、ガタガタ震えるほど寒い。私はシャワーをやめて急いで体をふいた。私はお茶屋で休んでいるとき、頭痛と吐き気を催したのを思いだした。思い当たることといえば、ヴァルカラでの滞在が長すぎたということだけだ。休みすぎて体調をくずし、風邪をひいてしまったのかもしれない。  

夕食の準備は終わっていたが、食欲がでない。私は病気になっても食い意地だけは衰えないたちなのだが、このときばかりは、食べる気がおこらなかった。私にとって、どんな症状よりも、食欲がないことが赤信号なのだ。しかし食べれる時に栄養を補給しておかないと、あとでどうなるかわからない。  

私はカレーのおかずを残してチャパティを食べ終わると「それでは皆さん、私はさきに寝ます」といって席を立った。「もう食べないのか」とパトリックがけげんそうにきく。私は皆になるべく心配をかけたくなかったので、適当にお茶をにごした。  

ベッドに横になり、シュラフカバーにすっぽりくるまっても、寒気は消えない。心臓の鼓動が異常に速い。葉月がパニアの底から薬箱を出し、体温計をとりだした。私はこんなとき、体温を計るのが嫌いだ。これだけ寒気がするのだから、きっと熱はあるに違いない。しかし、それを計ってみて、予想外に悪い結果だとしても、どんな対処がほどこせるというのだろう。良くないデータをみて気を病むくらいなら、始めから知らない方がいい。しかし言ってみればこれは病人の庇理屈だ。計ってみると、デジタルの無機質な数字はなんと三九度を示していた。こんな高熱は物心ついて以来、体験した覚えがない。一挙に不安がこみあげて脳裏をかけめぐった。 (これは単なる風邪ではないぞ。肝炎か?本で読んだ症状と違う。それならマラリアだろうか?いやまだマラリアの季節ではない。なんだろう?もう少し勉強しておけばよかった。えらいことになった。パトリックとイヴォンヌともここでお別れだ。短い間だったが、楽しかった。そういえば、ここには市場がなかった。療養するには、市場のあるところまで移動しないとダメだ。それもできないときはどうするか。峠でみた屋台の果物は法外に高かった。あー死ぬならせめてマーケットのある町で死にたい) こんな具合の悪い時でも、考えることといえば、食べることばかりだ。  

わたしはそのうち深い眠りにすいこまれていった。目をさますと、イヴォンヌが枕元で私の脈をとりながら顔をのぞきこんでいる。

「リロ、あなたはサンストロークにかかったんじゃないかと思うの。アスピリンをあげるから、それをのんで熱をさげるといいわ」

オランダで看護婦の仕事をしていた彼女の表情には、不安げな様子がなく、天使のようにみえる。インドでサンストロークと呼ばれるのは熱射病のことだ。肝炎やマラリアのような恐ろしいイメージはないが、死人もでる危険な病気だ。私はこの日、特に暑い思いをしたわけでなく、快適なサイクリングだったので、熱射病だとは思えなかった。しかし、その症状はまさしくインドのサンストロークであることを、私は後に日本に帰ってから本を読んで初めて知った。  

私は薬を飲み、再び眠りに落ちた。次に目をさましたとき、パトリックがいた。

「パトリック、明日は僕にかわまず先に出発してよね」

私がそういうと彼は、
「リロ、僕たちは君をおいてここを発とうとは思っていないよ」 といった。

私はうれしい反面、宿題をもらったような気がした。私たちはヴァルカラで長い休みをとったばかりだ。ここで彼らを足止めすることは断じて避けたい。 (こうなったら明日までになんとしても気力で立ち直ってみせる) 私はベッドのなかでかたく決意した。  

翌朝、目をさますと朝日が窓からさしこんでいる。昨夜は、薬がきいたせいか、比較的よく眠れたようなような気がした。

「調子はどう?ゆうべはほんとに心配したぞー」
葉月は、となりで熱にうなされている私の看病をしたため、ほとんど眠れなかったらしい。体温を計ってみたら、三七度ちょっとだ。寒気もない。起きあがって動いてみたが、頭痛も吐き気もなく問題なさそうだ。  

次の町はここから五十キロたらずだ。ここから峠までの短い登りを除けば、あとは下り坂とほとんど平坦な道だ。

「よし、走れるぞ」

私は気合いをいれて荷物のパックを始めた。 「異国の地ではまったく想像もつかない病気にかかるもんだ」 私は荷造りをしながら、昨夜の突然の高熱がなんだったのか、いまひとつ理解できないでいた。一方で、いつものおきまりの作業を今自分がしていることが、とてもうれしかった。健康のありがたみを知るにはよい機会だった。

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