VOL.38 インド(36) ヴァルカラ〜カダヤナルー(葉月)
理路が倒れた。ヒートストローク、インド特有の熱射病だ。ヴァルカラからマドゥライへと通じる内陸ルートを走り始めた初日の事だった。パトリック、イボンヌとの本格的なグループツアーの初日でもあった。
ケララ州テンマライのレストハウス。その昔、ダム建設の監督にあたる役人の宿泊用に建てられたものだ。外観はともかく、客室はここ一〇年位、手入れをした事がないのではないか、と思える位荒れていた。もっとも、建てられて二〜三年のホテルでも、シャワーや水洗トイレのフラッシュが壊れていてもそう珍しい事ではない。ベッドのスプリングが陥没していても、窓のさんに砂ぼこりが堆積していても、驚く程の事ではない。しかし、病人には不向きな環境である事には、間違いない。
理路の熱は四〇度のあたりを、行ったり来たりしている。山の中の一軒宿で、あたりに人影は見えない。何か病人でも食べられるものはないかと思って、私は外へ出た。山を降りると、小さな屋台が何軒か並んでいた。しなびれたバナナ、温まった瓶詰めソフトドリンク、油で揚げたスナック、どれも体に悪そうなものばかりだ。もうたよりになるのは、宿の食事しかない。
夕食はダイニングルームで、大きなテーブルを宿泊客が囲むスタイルだった。理路はもうろうとしながらテーブルにつくと、うつろな目でチャパティを食べ、ベッドへと戻って行った。高熱がある時、人は食欲がなくなるのが普通だと思うが、理路の場合は違う。どんな時も食欲がおとろえる事はない。彼の場合、食欲イコール生命力の表れらしい。
イボンヌのくれた強力なアスピリンと、一晩中濡れタオルで頭を冷やしていたのが効を為し、翌朝理路の体温は三六.八度まで下がっていた。ここにもう一泊する案もあった。しかし体が動くようになれば、二泊したい場所ではない。幸い約三〇キロおきに町がある。理路の様子を見ながら進む、ということで私達は出発した。
カダヤナルー。タミルナードゥ州に入って最初の、大きな集落だった。白い壁の続く町並みは、おとぎ話に出てくる風景のようで、遠目には美しかった。どうやらモスリムの町らしい。私たちは町に入って行った。メインストリートは未舗装で、砂ぼこりが舞っている。浅い側溝には例によって、汚水とゴミがあふれていた。またしても病人には良くない環境の町だ。しかし、新築のホテルをみつける。外のほこりっぽい空気と違い、建物の中は、掃き清められている。ベッドは新品、枕などはまだビニールのカバーがついたままだ。ベッドへ倒れこむ理路をよそに、私は町へ出かけた。そう、ここは立派な町だ。薬屋、食堂、マーケット、必要なものは何でも手にはいりそうだ。薬屋でスポーツドリンクの粉末を買い、卵売りから卵を買った。外国人ツーリストなんて、金輪際訪れないような町だったが、人々は暖かかった。理路のヒートストローク、イボンヌとパトリックの気遣いに疲れていた私は、この町の人々とのコミュニケーションで、元気を取り戻していった。外に出たがらない理路の為に、食堂でラッシーとイドゥリーのテイクアウトを交渉した。最初はとまどっていた店の人も、二度目にコッフェルを持って訪れた時には、気さくに応じてくれた。
一夜明け、理路の熱は完全に治まっていた。その日の彼の走りは、軽快だった。
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