「旅行記」
トラベルメイト
監修・編集

リロとハツキの自転車旅行

 

VOL.35 インド(33) 恐怖のヒートストローク 1

ヴァルカラにいる間、私たちはバスで遠方の町まで出かけたり、ビーチで泳いだりして楽しく休日を過ごした(インドで泳いだのは初めてだった)。滞在四日目、この地で知り合ったツーリストから情報を集めた四人は、ここから先のルートを再検討することにした。  

普通なら、このまま南下して、インド最南端の地カンニャクマリをめざすのが一般的だ。途中には、南インドでもっとも有名な観光スポットの一つであるコバーラムビーチもある。しかし四人にとって、外国人で混みあうビーチや岬は、あまり魅力的には映らなかった。それよりも、交通量の少ないローカル道路を、村づたいにのんびり走るほうが良いというのが、一致した意見だった。四人は私が持っていたアメリカの航空地形に額を寄せあって、東のタミルナードゥ州へ抜ける道をさがした。  

南インドの中央には、二千メートルクラスの山を擁する西ガート山脈が、東西の交通を遮断するかのように、南端のコモリン岬まで続いている。しかしよくみると、私たちが通ったクィーロンから、道が川に沿ってこの山脈にのびている。その道は、この山脈の背骨にあたるカーダモンヒルの南にある峠を越え、テンカシという町に下り、タミルナードゥ州へ抜けていた。峠の標高はせいぜい四、五百メートル。キーロンから大都市マドゥライまでのこのルート上には、これといった観光地がないらしく、ガイドブックから得られる情報はなにもない。

「山を越えてタミルナードゥに抜けるには、ここが一番よさそうね」
イヴォンヌが地図の峠をさして言った。
「テンカシまでいけば、たぶん宿もあるだろう」

パトリックも乗り気だ。 結局、私たちは最南端のコモリン岬まで行かないで、西ゴート山脈を横断する形で東のタミルナードゥ州に入ることになった。  

翌朝、私たちは宿の前で待ち合わせをして、八時にスタートした。ここからマドゥライまでは、ガイドブックを開いても何の説明もないローカルなルートだ。しかも山越えは今回のインド旅行では初めての挑戦だ。私はいつもとは違う緊張感とワクワクする気持ちを楽しんだ。  

私たちはパトリックの提案に従って、先頭を交代しながら四人が一列で走ることにした。これは、前を走る人がかき分けた空気の渦のなかに、後ろの人が入る事で、空気抵抗を減らす効果をねらったもので、自転車レースでおなじみのスタイルだ。先頭は二キロ交代で最後尾に移動するので、六キロごとに自分の番がまわってくる。私はこの時初めてこういった集団走行を体験したのだが、人の後ろにつくことがどれだけ体力をセーブする事になるか思い知らされた。  

自転車旅行でもっとも悩まされる事は、雨でもなく登り坂でもない。それが目に見えない風や空気であることは、長距離を体験してみないと理解しにくい。向かい風がつらくて追い風が楽なのは、誰でも想像できるが、一日に消費するエネルギーが、その日の気まぐれな風によって、どれほど左右されるかをイメージするのはむつかしい。私たちの体験では、無風で百キロ走った日と、弱い向かい風の中を七〇キロ走った日の疲れ具合が同じくらいだった。このことから、空気抵抗で消費する体力の割合は、他の要素(登り坂や重い荷物)に比べて、予想以上に大きいことがわかる。つまり、楽に走るためには、空気抵抗を減らす事がもっとも効果的だということだ。  

この一列走行は、これまでの私たち二人の個人走行とは大きく違って、チームの団結力を感じさせた。先頭は、前方に障害物を見つけると、安全のためそれを指さして後ろに伝える。二番手はそれを確認すると、同じように指さして後ろに伝える。この様子を最後尾から見ていた私は、先頭から順に出される手がとてもリズミカルなので、思わず自分もつられて指をさしてしまって苦笑したことがあった。  

私たちは速度を二〇キロ以上出さない取り決めにして、メーターを見ながら走った。いつもなら自分のペースを維持して走るので、追い風や下り坂でも、ペダリングすることによって、スピードは一五キロから三〇キロの間を揺れ動く。しかしチーム走行では、二〇キロ以上にならないように、時にはペダリングを止めた。私はこれではかえってペースを保ちづらいと最初思ったが、スピードが出て四人が離れてしまうよりはずっと良いことだと後でわかった。 下り坂でなくても、スピードが出すぎてしまうことはしばしばあった。自分の番がまわってきて先頭に立つと、空気抵抗でペダルがぐっと重くなる。これに耐えて後ろの三人を引っ張ろうという意気込みのせいか、ついつい頑張って踏んでしまうのだ。

「ハツーキ!トゥーファーストゥ!」(はやすぎる!)

私の後ろを走るイヴォンヌが先頭に向かって叫んでいる。メーターは時速二三キロをさしている。「葉月は早すぎる」と皆からよく言われるが、本人には自覚がない。  

ある風の強い日は、時速一五キロでもつらいこともあった。そんな時、一七キロで先頭を引くパトリックにイヴォンヌがついて行けず、集団が分かれた。パトリックの後ろには私がぴたりとついているので、三番目以降が遅れたことに先頭が気がつかないことが多い。私が気づいて後ろを振り返ると、いつのまにかイヴォンヌと葉月がはるか後方にいる。風よけを失った自転車は、空気抵抗と風をどっと受けて、ますます速度が落ちる。

「パトリック、ちぎれちゃったから少し待っていようよ」

後ろに私しかいないことに気づいたパトリックは、「やれやれ」といった調子で首を横にふった。やがて私たちに追いついたイヴォンヌは、そのままスーと私を追い越すとパトリックの横につけ、なにやら不穏なムードの中、オランダ語の会話が始まった。

「どうしてそんなにとばすのよ!」
「とばしてなんかないよ、ちゃんと二〇キロ以下で走ってるよ」
私たちにはオランダ語はわからないが、だいたいどんなことを話しているか想像はつく。

「あーあ、イヴォンヌが怒っちゃったよ」

私と葉月は日本語でひそひそ話す。二人がオランダ語で話すときは、だいたい内輪もめであることが多い。団体走行はメリットがあるが、うまくやっていくにはそれなりの努力がいるということだ。

次回へ→


E-mail: mail@travelmate.org
これは Travel mate のミラーサイトです。
ページ編集・作成:@nifty ワールドフォーラム