VOL.34 インド(32) 子どもの物乞いの話(葉月)
乞食の子供の話ではない。町を歩いて、または走っていると、子ども達が笑顔で呼びかける。
「ワンッぺーん!」
「アイムアッペーン」
まるでひと昔前日本ではやったギャグのようである。彼らは自分はペンだと言っている訳ではない。ペンは、ある時はペンそのままの意味であり、ある時はインドの通貨の単位、ルピーを意味する。そう、彼らは私達に一ルピーおくれ、ペンを頂戴、と言っているのだ。何故外国人を見ると見境なくこう呼びかけるのか。かれらが言葉の意味を正しく理解して「ワンッペーン!」と言っているのならまだしも、意味もわからず、とれあえず「ワンッペーン!」とやっている子どもも多い。いくら笑顔でいわれても、これをやられると絶望的な気分になる。
「貧しいインドの子ども達に学習の機会を!」という善意のボランティア団体や個人から、様々な物資が子ども達に贈られているのだろう。しかし道端でいきなり、「あなた、日本人?日本人はお金持ちでしょう、私にペンを頂戴」なんて言われても、私の知った事ではない。ペンなんかなくても勉強はできるじゃないか。
こう言ってくる子のすべてが、本当にペンが欲しいわけではないのかも知れない。ゲームなのだ。何人に声をかけて、何人がくれたか。実際にモノを手に入れる事については、それほど頓着していない。私も子どもの頃、やった事がある。ただしまったく知らない人にではなく、近所の交番のおまわりさんに。実際に何かをもらう事が目的ではなく、おまわりさんの反応を見て喜んでいた。我ながらイヤな子どもだったと思う。あまり良い趣味ではないが、ゲームなら許そう。だが本気だと、困る。見知らぬ外国人にモノをねだり、手に入れる。子どもの頃からの習慣なので、大人になってもねだり続ける。外国人相手専門の物乞いもいるくらいだ。他人に声をかけ続ける事自体、ある種の努力なのかもしれないが、何か割り切れない思いがする。
むかしカルカッタのサダルストリートで、二人組の女の子にバクシーシをねだられた。ものすごく強引だったので、頭にきた私は完全に無視したら、今度はすごい罵声を背中ごしに浴びせられた。私には理解不能な言葉だったが、あの語気からするとかなり汚い言葉だったのではないかと思われる。
今回、カラングートで一二、三才の可愛い女の子に、「私に何かプレゼントはないの?」と言われた時に、我が耳を疑った。カラングートはアホな外国人ツーリストも多いので、彼女ほどの美貌をもってこう問いかければ、何がしか獲得できるかもしれないが、私は非常に不愉快だった。
「なんで私があなたに何かプレゼントしなければいけないわけ?」
と聞き返してしまった。
可愛いからとか、かわいそうだからとか、はたまためんどう臭いからという理由だけで無分別にモノを与えてしまっては、正しい人間関係をゆがめてしまうではないか。
パナジでは中学生位の男の子が、「自分は切手を集めている。もし日本の使用済み切手を持っていたらもらいないだろうか」と非常に礼儀正しい言葉遣いで話しかけてきた。日本の使用済み切手を持って歩いているツーリストなんてそういるもんではないだろうが、これはこれで正しい態度だな、と私は思うのである。
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