VOL.29 インド(27) 白人サイクリストのカップルと出会う 6
私たちの泊まる場所は、ヴァルカラの町の手前で、国道から坂道を下ったところにある小さな村だ。ここはとりわけ外国人に人気のスポットで、観光地として有名になる前のいわゆる穴場でもある。海の方へ行ってみると、そこは数十メートルの切りたった崖になっていて、下のビーチを首をのばして覗いてみると、思わず足がすくむ。今立っている足元が崩れないという保証はないからだ。ここから見渡すアラビア海は、一八〇度さえぎるものがなく、とくに美しい。例のミネラルスプリング(泉)はこの崖の中腹から湧き出ているらしく、海水浴帰りの観光客が、空きボトルに水をいれて持ち帰っていた。
「おーカフェまであるよ。トロピカルドリンクだってさ。客は白人ばっかだなぁ」
「うーん、なんだかインドじゃないみたいね」
私と葉月は黒板のメニューをのぞき込むと顔をみあわせた。
例によってイヴォンヌと葉月がパーティを組んで宿さがしにでかけ、私はカフェのテーブルでたまっていた日記をかたずけた。パトリックはまわりのお客を相手におしゃべりに余念がない。
「あーら、とても良い休憩だったみたいね」
「この次は私たちのためにきっといい場所みつけてくれるんでしょ」
一時間ほどすぎて戻ってきた二人は私とパトリックに皮肉をあびせた。二人は道でドイツ人の青年に声をかけられ、彼の泊まっている宿を教えてもらったそうだ。その青年もカップルで自転車旅行しており、彼はレーサーパンツ姿の女性カップルをみかけて思わず声をかけたという。その宿は、自炊にぴったりのキッチンスペースがあるのだが、あいにく空き部屋は一つしかなく、私たち二人はひとまず近くの民宿に泊まることにした。
その民宿はまだ建築中で、コンクリートの床と壁がむきだしのままだったが、別の部屋もすでに白人ツーリストで一杯だった。
「ここにもう一軒建ててな、こっちにはシャワーをつくるんだ」
日本びいきだというそのオーナーは、一人で家を建てており、私たちを建築現場のひとつひとつに案内しては、その構想を説明してくれた。
翌日になっても、パトリックのいる宿に空きはなく、私たちは国道まで戻り駅前のツーリストホーム(インド人が利用する一般的な宿)に移った。民宿の部屋には水道がなく生活に不便だった。私たちは炊事道具をもってここからパトリックのいる宿に通い食事をつくることにした。
イヴォンヌたちが泊まっている所は、一軒の家を外国人旅行者に開放されたもので、設備の使用については各自の信用の元にまかされていた。玄関に入ると一部屋分の広いスペースがあり、そこにドイツ人カップルのものと思われる二台のマウンテンバイクがおかれてあった。
奥のキッチンへ入ると、若い男性がガソリンストーブの準備をしている。キッチンにはもう一人、小柄で色白のまだ少女の面影のある女性がサラダをつくっているところだった。
「ハロー、こんちわ。あの自転車があなたたちの?」
「イエス、僕はウーヴェ、そして彼女の名前はアンティアっていうんだ。よろしく」
サラダをつくっていた女性が、手を休めてこちらに会釈した。彼女のイメージは、むかしオリンピックのテレビ中継でみた、東ドイツの体操の選手にぴったりだ。
「彼女は英語を話さないんだ、ぼくも学校でロシア語は勉強したけど、英語はあまり知らないんだ」
その割に力強く話す彼は、がっしりとした体格にぼうず頭といういでたちで、アメリカの兵隊を連想させる。
「どのへんを走って来たんですか?」
軽い気持ちでおきまりの質問をしてみた。私たちは、ウーヴェの話に一瞬耳を疑った。かれらは、ドイツ(旧東ドイツ)をかわぎりに東ヨーロッパをまわり、ロシアを経て中国を南下し、さらにチベットからヒマラヤを越えてネパール、インドまで走破したという。
「フー・・・。すごいな」
私は思わず感嘆のため息をついた。想像を絶するとはこのことだ。ヨーロッパからシルクロードを伝って中国まで走った話なら、これまでに何度か本で読んだことがあった。しかしロシアまわりで中国まで走った後、ヒマラヤ越えに挑戦したという話は初めてだ。それに、これまでに会った女性サイクリストは、皆、頑丈そうな体格の持ち主だった。薄くて軽い体格を持つ私と比べると、総合的な体力に勝ると思われる人が多かった。しかし小柄で線の細いアンティアは、私たちがこれまでに会った中でもまさに例外にあたるといえる。
私は彼らに質問したい事がいっぺんに頭に去来し、なにから聞いたらよいかまよってしまった。
「ロシアは大変だった?」
「うん、でも僕はロシア語を習っていたから、それほど問題はなかったよ」
「中国はどう?」
「中国ではあちこちで歓待されてね、うれしかったね」
「どこが一番むつかしかった?」
私の質問に彼は床を指でさして
「ここだよ、インドだね」 と答えた。
インド旅行で体験するトラブルは、私たち東洋人と白人との間に大きな差があるようだ。私たちは、パトリックたちと出会ってからというもの、毎晩のように彼らの「体験談」をおもしろく聞かされていた。ほかの白人ツーリストが話に加わったりすると、彼らの新しいネタに皆大いに盛り上がった。
次回へ→