「旅行記」
トラベルメイト
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リロとハツキの自転車旅行

 

VOL.28 インド(26)  白人サイクリストのカップルと出会う 5

翌日私たちは二〇キロ南にある海岸の村ヴァルカラへ向かった。この村には泉の湧き出る美しいビーチがあるという。私たちは自炊のできる宿をみつけて、しばらく滞在することにした。  

ヴァルカラに向かう途中、国道を右手にはずれると、一本の細い舗装路が、やしの木陰をぬうように浜辺の家々を結んでいる。道が蛇行しながら小さなアップダウンを繰り返すたびに、キラキラ輝く海面と真っ白な砂浜が、やしの木を通して目に飛び込んでくる。 しばらく進むと、浜辺では大勢の人だかりがしていた。自転車をとめて見に行くと、地曵き網で揚がった魚を、漁師が魚屋に卸しているところだった。人だかりの視線は魚にあるのではなく、値段を交渉する二人の男の間を往復していた。やしの木立を抜け、光の降り注ぐ小道を浜づたいに行くと、そこには小さなお茶屋がみえる。私たちは甘いミルクティーで一息いれることにした。  

車の通らないこの通りは、サイクリストにとってまさにパラダイスだ。このようなローカルな道を、普段からもっとたくさん選んで走ればよいのだが、その日の行程が長かったり、道がはっきりしなかったりするので、なかなか横道にはいることができない。今日は二〇キロの超短距離、もしこれが八〇キロなら四人とも国道を黙々と走っていたに違いない。進む距離があまりに少ないと、停滞しているようで焦りに似た気持ちになるものだ。しかし旅を終えて振り返ってみる時に、いつも思い出すのは、充実した良い日々のことばかりで、決して駆け抜けた能率の善し悪しではない。遠くのまだ見ぬ町を目標にひた走ることより、目を足元に見据えた時のほうが得られるものが多い。  

パトリックはいつものように、お茶屋のおばさんと身振り手振りでおしゃべりに興じている。四人ともすっかり落ちついてしまい、二杯目のお茶をすすっているときだ。「ガシャン」という音に続いて子供の泣き叫ぶ声がひびいた。皆一斉に振り返ると、転倒した自転車に、三才くらいの子供が下敷きになって泣いている。男は大声で何か言いながら自転車を起こすと、荷台のかごから落ちた魚を拾い集めた。さきほど浜にあがった魚を仕入れて、急いで町に売りに行く途中だったらしい。子供の母親が泣きじゃくる子供を抱いてあやしている間も、男は早口にまくしたてた。どうやらその子供は自転車の前に飛び出したようだ。男は母親になにか渡すと、急いで自転車にまたがり去って行った。母親の手には何ルピーかの紙幣が握らされていた。

「もうだいじょうぶだよ」
私はフロントバッグから消毒スプレーを取り出して、その子のけがの様子をみてみた。前輪と後輪の間に倒れていたので、一時はどうなることかと心配したが、幸い額と手足に擦り傷を負っただけで、大けがにならずにすんだようだ。傷を消毒している間、パトリックはそれが傷のためによいことを母親に説明した。彼はいつでも、まわりの空気をやわらげる努力を惜しまない。とくに彼のパントマイムは、言葉の壁を通り抜けて、自由に気持ちを伝えることができるすばらしいものだ。

「じゃあね、バイバイ」
子供と母親に別れを告げると、私たちは自転車にまたがった。母親がなにかあいさつをしている様子だが、言葉はわからない。

「こんなのどかな所でも事故っちゃうんだから、まいるよほんと」
走り出してから私がいうと

「いやぁほんと、インド人の自転車、注意したほうがいいね」
と葉月が答えた。まったく油断禁物である。

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