VOL.27 インド(25) 白人サイクリストのカップルと出会う 4
翌日、私たちと自転車四台は、晴れてクィーロン行きのボートに乗り込むことができた。料金は、最初にきいた金額を大幅に下回るものだった。これはイヴォンヌの精力的な交渉のおかげだ。ボートは四、五十人は乗れそうな大きさで、一階と屋根のない二階にわかれている。自転車をへさきの三角のスペースに乗せると二台でいっぱいになってしまった。ほかの二台は窓の外側のでっぱりに車輪をひっかけて、フレームをストラップで固定した。あの空港タクシーの一件以来、自転車の積み込みには万全を期すようになったのだ。荷物の積み込みも終え、眺めのよさそうな二階の席におちついてほっと一息つく。あらためてまわりを見渡してみると、乗客はすべて白人ツーリストだった。
船は一〇時に出発し八時間の運河と湖の旅が始まった。村のおばさんが川で洗濯をしている横で、こどもたちが水遊びに夢中になっている。ゆっくりと流れてゆく運河沿いの風景には、やはり心がなごまされる。
お昼ごろ、ボートはエンジンの音を下げて桟橋についた。船を降りやしの木陰の中を入っていった所にはテーブルがセットされている。このツアーではランチを頼むことができる。メニューはチャパティとライスにカレーを何品かつけたもので、ふだん食堂で食べ慣れているものだ。外国人向けにアレンジされたまずいものが出るのではと心配したが、取越し苦労におわった。
ふだん自転車にのって移動する時間は三、四時間だ。何もしなくて良いとは言え、固い椅子に八時間も座っているのは疲れる。退屈したのか、若い男性が岸に向かって何かを投げ始めた。みると運河の土手の小道を子供達が必死になって走っている。
「そらっ、こっちだ。あっちにもおちたぞ」
そのツーリストが投げているのはコインだった。しかし子供達は、足場の悪い土手を走るので精一杯で、コインの落ちる場所が視界に入らない。次々になげられるお金はむなしく土手の繁みに消えてゆく。子供達の中には、運河のなかにポチャリと落ちた音を聞いて、水の中に飛び込むものもでてきた。
私は、お金欲しさに全力で走る子供の真剣な表情を見ていると、面白がってはしゃぐ若いツーリストにいらだちを覚えた。となりで本を読んでいた女性が顔をあげて「ばかなことをして・・・」とつぶやくのが聞こえた。
私はこれと似たような光景を、以前テレビで見たことを思いだした。それはタイかどこかの国で、日本人の新婚カップルが橋の下の子供たちに、豆まきよろしくお金を投げて拾わせているシーンだった。その行為の是非はともかくとして、人間のやりたがることは、国や時代に関係なく同じなんだなと思った。
クィーロンの船つき場に到着した頃は、もうあたりには夕闇がせまっていた。私たちは急いで荷物を自転車につけ、ふたてに分かれてホテルをさがした。
ガイドブックには、街の地図が大きくでているのだが、暗くて看板がよくみえない。中心部の道路は、車がヘッドライトを上げて走るので、逆に眩しくて走りづらい。夜間走行はぜったいしないほうが良いとはいっても、今回は船旅を選んだのだからしかたがない。私たちは約束の時刻になると、再び待ち合わせた所に戻り、皆が見た中で一番よさそうな宿へ四人で移動した。さいわい、その日もなんとか部屋にありつくことができた。
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