「旅行記」
トラベルメイト
監修・編集

リロとハツキの自転車旅行

 

VOL.18 インド・インドの交通事情

 

「ビーッ、ビビビ」「パパァーン」

後ろからくる車のクラクションの大音響で頭が割れそうだ。ハンドルにつけたバッ クミラーには、猛スピードで突進してくるバスが写っている。

「まずい、道が狭くて逃げる場所がない」

反対車線に急ハンドルを切ったバスは、車体を大きく傾けて私達をよけた。ちょうど対向車がとぎれたところで助かった。ミラーの隅に葉月を確認してほっとする。 今日も交通量が多い。つらい一日の始まりだ。  

インドを自転車で走るには、健康な身体とストレスに強い太い神経が必要だ。ひとたび通りにでると、そこは排気ガスの異臭とクラクションの音の洪水。インドには交通ルールというものはない。ドライバーには字の読めない人も大勢いるのだから、交通標識もないに等しい。だからどの車も警笛をならしながら走っている。三〇年たったぼろぼろの車も、クラクションだけは特製で、その音は電車のそれと同じくらいだ。また、鳴らす回数も半端でない。  

ドライバーの視界に動くものがある限り、この大音響が鳴り響く。すべての車が同じように鳴らすわけだから、混みあったハイウェイは騒音の渦と化す。この環境の中を走っていると、神経はぼろぼろになるが、音だけならそのうちに慣れる。しかし後ろから突進してくるバスだけはついに慣れる事はなかった。バスは対向車線があいていればよけてくれる。あいてなければブレーキを踏んでくれるか?そんな期待は捨てた方が身のためだ。だいたい自動車の運転手から見れば、自転車にのっている奴の命など数十ルピーの価値しかないにちがいない。  

私はどんな事態がおこっても、それを納得したうえで受け入れたかった。突然バスにひかれて死ぬのだけはいやだ。だから、後ろの状況をたえずバックミラーで確認しながら走った。時速二十キロで走っているとする。そこへ、後ろからバスが突進してくる。前方をみると路肩が切れ落ちてなくなっている。対向車も前から迫ってくる。この三者が線上にならぶタイミングをはかって、少しでも安全を確保しようと私は魂がすりへるほど神経を使った。車がとぎれてほっと一息つける時間をはかってみたら、四秒しか続かなかった。恐いのは後ろから来るバスだけではない。 一度、前から来たバスが追い越しをかけて車線一杯にこちらに突進してきた。そのときは、とっさの判断で路肩から土手に逃げて難をのがれた。  

もし私達がよけなかったらと思うと、怒りと殺意で体中にアドレナリンが湧いて くる。運転手の顔がありありと瞼に浮かんでくる。渋滞してバスが止まっていたら、追いかけていって運転手をバスから引きずりおろしてやろうかと本気で考えた。けれども怒りは心身をむしばみ疲れを呼ぶ。あとにはきまって失意が残るだけだった。  

インド人の運転するバスは、なぜかどんな時でも前の車を追い越そうとする。マレーシアでも、シンガポールでも、インド人ドライバーは同じ傾向があった。人と荷物で重くなったバスは、アクセルペダルを一杯に踏み込んだところで、そんなに加速するわけではない。反対車線にでたバスは、じわりじわりと前にでて追い越しをかけるのだが、ほどなく真正面に対向車が迫ってくる。あわや衝突かと思った時、 絶妙のタイミングで前の車を追い越し、車線に戻る。この瞬間は、まったく神業しか思えない。ところが、乗客百人くらいの命をかけて追い越したと思ったら、すぐにバス停にとまったりするのだから、やっぱりドライバーの頭はいかれているに違 いない。  

こんな目のおおいたくなるような状況にもかかわらず、事故がおきないのは、運転席にまつられたヒンドゥーの神さまのご加護があるからだろうかと思っていたら、とんでもない、やはり事故は起こっていた。私達は正面衝突でぺしゃんこになった大型車のオブジェを一日に一回はみた。約七十キロごとに事故の残骸があったわけだから、そうとうな頻度で事故は起こっている。  

ある日、スクールバスが停車中のダンプに追突した現場にでくわした。見通しのきかないカーブを、減速しないでつっこんだのが事故の原因だ。バスは扉がこわれて開かなくなり、車内に小学生が閉じこめられた。窓には鉄格子があるので、でられない。近所の人がかけつけてか細い手で扉をこじあける。幸い重傷を負った子供はいないようだったが、車内で泣き叫ぶ子供の声をきいていると、明日は我が身かと身震いしてしまった。

 

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