トラベルメイト Top page へ戻る

トラベルメイトトラベルメイト98

<<前のページ     次のページ>>

「トラベルメイト98」
  1. 【 日本の海外旅行の歴史7 】

     ここでは海外旅行のおおざっぱな種類と説明、最後にさけては通れない「格安航空券」の1964年以降の案内をします。64年以前の海外旅行は、それ以降のものへの連続性はほとんど皆無と言ってもいいくらいですから、ここではふれません。

     みなさん海外旅行の種類はどのくらいあるかご存じですか。団体旅行、パッケージ旅行、個人旅行、貧乏旅行、自由旅行、いくらでも例を挙げるとありますね。それらがそれぞれどんなものなのか、たくさんの解釈があってよくわかりません、それらの評価関連づけも決まったものは一つもありません。

     私なりに整理したものをあげておきますので参考にしてもらえばと思います。ま、むろんいろいろな意見はあるでしょうから、私のものが絶対正しいとはもうしませんが、今後この「トラベルメイト98」の話を理解するにはかなり使えると思います。

    D.J.ブーアスティンという人の書いた「イメジの時代」にこういう一説があります。

     旅行者は仕事をしている人であり、観光客は楽しみを求める人である。
     旅行者は能動的であって冒険、経験を一生懸命探し求めている。
     観光客は受け身であっておもしろいことが起こるのを待っている。

     二十年前なら”おおー、なるほど”とぽんと手を打ったかもしれません。十年前なら”今時代はやっと旅行者が生存できる環境が整った”と思ったかもしれません。でも今旅行者だと思ってる人も、旅行者になろうとがんばっている人も結局、観光客類−旅行者科−のぷーたろう属とか、ヒップホップ属ー茶髪系に分類できると解った今、単純にこれらの言葉に「うむ」と言えません。

     一口で言いきってしまえば、パッケージ旅行に参加して、ブランド品の買い物をしてる大阪のおばちゃんも、深刻な顔をしてアジアの中の日本を告発するライターも、わざわざバングラデシュで残飯を食ってそれを本にした人も(最後の人なんか究極の観光客です、見るだけそれ以上はその社会になんにもしない、そして発表はその国でなく自分の本国。残飯を出す人がいると言うことは、当然そちらの方が多数で残飯食う人の方が少数です。でもこの記事を読んだ人はバングラデシュ−−−残飯食う国の人と思うに違いありません)、同じ観光客類の中に入ってしまうのです。

     発生した順番も、パッケージ旅行、団体旅行が最初でこれが基本です。これらの参加者が大量になればなるほど、ライターも、残飯食う人も安く長期間海外旅行を続けることができるようになってきます。

     逆はあり得ません、深刻な顔の人はそう何十万人もいるわけではありません。残飯食う人に至っては、年間多くて数人でしょう。この人たちしか航空券を買う人たちがいなかったとしたら、バンコックまでたぶん週一便、しかも昔懐かしいDC−4で何十時間もかかります。

     予約は6ヶ月前から、人数が定員に達したら出発、片道86万円、食事なし。しかも深刻な顔をするくらいですから自慢じゃないけどお金はない。残飯食う人は東南アジアの特派員時代に残飯食いながらお金を貯めたかもしれないけども(日本と同じ給料をもらえていたとしたら、残飯食わなくともたまりまっせ、お金が!)人数が多くないため飛行機の定期運用には何の役にも立ちません。

     なら旅行者ってのはどんな人たちなんだよと思われるに違いありません。私にもよくわかりません。ほとんどの海外旅行者が観光客であることは確かなのですが、旅行者はといわれると、うー頭が痛い。

     旅行者、旅行者は観光客のように旅行先の社会の周辺部分での境界線で座り込んでのぞき見をするのでなく、社会の中の動きに入り込みちょうどウイルスが異種の動物とか植物間の遺伝子の移動に関わったように影響を与える人たち、とでもしときましょう。そうです、旅行者はウイルスだったのです。(マルコポーロなどさしずめウイルスの大親分です)

     パッケージではあなたが相手国の社会に入り込むとっかかりは最初から用意されています。到着した空港にはあなたに興味を持ってくれているガイドがホテルまでの車と一緒にいます。その興味が仕事のためという至極当たり前の理由であっても大変ありがたいものです。

     もしあなたが、旅行者気取りの自由旅行信奉者で初心者であったら、相手の社会には当然とっかかりのつかむ腕はありません。

     あなたにもまだ初心者故、なんの腕も用意されていません。この時点では旅行者でもない、観光客でもない、ただの空港にいる外国人通行人です。ここからのスタートはなかなか寂しいし(誰も興味を持ってくれてなく自分も相手の社会に対し入り込む裂け目を探す腕さえまだないのです)道は非常に遠いのです。

     小田実の「何でも見てやろう」がそれ以降の旅行記に比べパワーがあるのは、彼が相手の社会生活に大なり小なり入り込んでいるからです。アメリカでのフルブライト留学時代に各地からの留学生とか、彼らの知り合いとかを旅行出発前に用意してあったのです。しかもそれなりのコネクションを本国で持った人たちです。

     表面的にこの本を読んで「あはは面白い、俺たちも」と私たち60年後半から70年初期組は思いました。でも現実は違いました。目が覚めた状態を現実というなら、私たちには悪夢さえみられませんでした。悪夢さえ贅沢品でした。

     相手国の社会にレセプターを持たず、自分側にもレセプターを持たない一人旅の観光客にとって通行人の役割はずーっと続くもののように思えます。でもまあこの時期を何年か、何ヶ月か耐えきってしまうと、それなりのレセプターが両者にできなんとかは成り始めましたが。

     そこに行くまで耐えきれなかった人はどうなったかと言いますと、三通りの結果がありました。文字通りこの世からドロップアウトしてしまうのが一番目、二番目は物理的肉体的には耐えきったけど精神の部分で違う世界に行ってしまった、三番目は元の社会に巣ごもりした。(二番目は、いい方向に行くととんでもないキャラクターを生み出したりしました)

     かなり脱線してしまいました、要は団体旅行も個人旅行も立ってる基盤が同じ、観光客類の中で個人旅行者も一つの属として話を進めますと言うことでした。すみません(7)の項では日本海外旅行史は終わりませんでした。話は(8)へ続きます。

    <<前のページ     次のページ>>

     

↑ページ最上部