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「トラベルメイト98」
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【 日本の海外旅行の歴史3 】
現在の観光旅行のルーツは1964年に始まるわけですが、ここからが日本人の初めての海外旅行体験が始まったかというとそうでもないです。第二次世界大戦前はアジア近隣諸国に植民地を作っていた手前、人間の交流はかなりのものがあり良かれ悪しかれ国際的な雰囲気は今よりあったかもしれません。
満州浪人、馬賊、上海バンスキング等の言葉少なくとも日本国内のことを表したものではありません。60年代の人気TV番組「怪傑ハリマオ」も二次大戦前の時代の話です。私らまだ主題歌の頭の部分覚えてますよ。「真っ赤な太陽燃えている。はてなき.....と続き...ハリマオ、ハリマオ、僕らーのハリマオ」(どうです、私らお宅の発生期の人間です、ジュラシック「お宅」と呼んでください)
1945年敗戦、まあそれ以前の数年は遊びとしての海外旅行どころではなかったでしょうから1940年から1964年は観光旅行のブランクの24年間です。 この空白の期間以前は、「食い詰めたんでちょっと上海で一旗揚げに」は良くある話でしたし(ま、実際は上海に渡ること自体はちょっとでも その後は大変でしたでしょうが)、64年以降はちょっとヨーロッパ無銭旅行もあり得ました。しかしこの間は、”きっかけのちょっと”さえもが有り難い(本来の意味の希なという意味にとってください)話になっていくのです。
空白の時期に20代30代の青年期を迎えた人は今60代から70代後半、一番「日本人は、...。それに引き替えイギリスでは...。」といいたがる年代です。そりゃそうです、国際化とかインターナショナルにもっとも縁遠かった年代ですから。
20年前この年代の人は、40歳から50代後半ばりばりの働き盛り、現在のメディアの主流を占める”まだまだ日本は”とか”エコノミックアニマルの日本は”の考え方はもろこの年代時代の人達の考えで、実際の今の日本の姿ではありません。
さて1950年代後半より個人旅行者は動き始めたと先ほど言いました。小田実(オダマコトですミノルではありません)らの動きはその後の個人旅行者へつながっていくわけですが、1964年以降の実際の個人旅行者は考え方こそ小田的なものを受け継ぎはしましたが彼らが立っている基盤は、海外旅行自由化にもたらされた団体観光旅行から分かれてでてきたものでした。
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