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「トラベルメイト95」
- 【二千万円の法則】
仲間と集まって今までしてきた旅行の費用の話をしているとずいぶん手間暇をかけて遊んだ値という話になるのですが、会員ナンバー六の人が暇に証せて計算しました。十人くらいの計算をしたころに何か共通な法則性があるような気がしました。それは何かとちょっと考え込んだのです。中級者から上級者に飛び移るときにほとんどの人は、トータルで使ったお金がある一定のレベルを超えていたのです。学問的にどうのと言うわけではありませんがざっと概略で計算すると、二千万円の費用を使ったときにほとんどの人がこっち側に来てしまった感覚ができたと言います。この二千万円は直接の費用だけでの計算ではありません。
すべて仕事とか日本でのしがらみをかたずけて旅行に出かけていった人は、直接使った費用に年間五百万を足します。もし半年の旅行をした人は二百五十万を足します。これらの合計が二千万を越えたところで旅行が何か見えてくる感覚ができてくるのです。年間五百万というのは、通常三十才ぐらいの人が年間働いたとしたら稼げる給料を、旅行をしているとその分稼げないので、旅行中の経費と考える訳です。
七日とか十日間の旅行を何回も続けてる人は、それによって年間所得ががくっと減るわけではないので単純に旅行費用を足していきます。四十万円の旅行を五十回続けなければ二千万円にはなりませんが、旅行を五十回続けた人もそれなりの迫力が出てくると思いませんか。五十回旅行に行くにはどんなに急いでも十年くらいはかかりますでしょう。大体ではありますが旅行がそれだけで面白くなる様になるには今の日本の貨幣価値で大体二千万円の投資が必要なようです。
説明会で不服そうな顔をしてるあなた、これでもまだ安宿に泊まって長期に旅行すれば大したお金がかからない貧乏旅行ができると思われるでしょうか。二百万円貯めて一年間インドと東南アジアを放浪旅行した、たった二百万しかかけない貧乏旅行ができたなんて思っていませんか。たった二百万しか使ってないのではなく、旅行しないでこつこつ働けば儲かった五百万円を加算しなければなりません。結局あなたは一年間七百万円の豪華大名旅行をしてきたのです。
年収五百万なんてしらねーよ、私は海外の庶民の生活を体験するためにあえて貧乏旅行をするんだと頑張る人はいませんか?そういう人こそ、日本に帰ればそこそこ稼げるのに頑張って貧乏旅行をしてるんだえらいだろうと思ってませんか?視点をちょっと変えます。あなたがしている貧乏旅行、お金がなくなったらまあ日本へ帰って稼いでまたで出来ればイイやと安心してませんか。
日本の国籍の人はそれだけで働けば三百万なり五百万なりの年収は簡単でしょう。その安心感はものすごく他のお国の人に比べ有利です。例えば中国の人、日本へ合法的に入国するだけで中国の年収以上のお金がかかります。(それを稼ぐのにどんだけしんどいか、スタート地点に着くだけでも大変な費用がかかります)日本人は、日本人であるだけで犯罪でも侵した人でない限り合法的に帰国できます。日本へ入国するためのコストはただ。(日本人ですから当たり前ですが)その安心感を、特に長期の貧乏旅行をする人達は頼りにしてますでしょう。やはりあなた方は、五百万を背中に背負った一種の利子生活をしているのです。
またまたで済みませんが「十二万円で世界を歩く」の巻頭にある言葉をもう一度引用させて貰います。
「だが、その国の人々の素顔や本当の暮らしぶりを見たと自負できる。金が貧しいが故に、現地の人々の世話になり、現地の人々が乗るバスに揺られなくてはならない。いくら汚そうでも、現地の人々が入る食堂に入り、飯をほうばらなくてはならない。だから旅はトラブルばかりだ。バスはのろいし、口に合わない食事はしばしば体調を崩す。しかし、そのおかげで僕はその国の暮らしを、目と口と体で知ることができた」
これ、初心者の時は良く解らなかったでしょうし、案外共感したりする考えですが、上級者になったあなたにとってすごい差別と偏見の固まりの言葉だと思いませんか。
現地の人が入る食堂は汚いわけです、汚いけども貧乏旅行だから我慢して食べなければならない。そして体調を崩してしまうがその故その国の暮らしを目と口で知ることができた。この考え少し変じゃありませんか。上級者のあなたには解りますでしょう。
ちょっと逆に考えて見ませんか。三十年前の日本でアメリカ人のくせに妙に小汚いのが旅行に来て、わざわざ大衆食堂にはいって来て縁の欠けた皿にのっけてある鯖の煮付けを取って、徳用米のご飯と塩辛いわかめの味噌汁とでまずそうに食べ、二言三言たどたどしい日本語を話し回りのおっさんから受けを取る。そんな姿が目に浮かびませんか。本人は絶対に今日は日本人の庶民の生活にふれた、有意義な一日だったと思っていたでしょう。
でもこれ本当に有意義だったんでしょうか。日本の大衆食堂に入ってそこで食事をした事実は残りますが、同じ時間町を散歩しても、買い物に出かけていても、観光で団体で明治神宮に行っていても、一日中ホテルで日本のTV番組をボーと見ていても、あまり変わらない体験はできます。我慢して鯖の煮付けを食べても、その我慢という行為で他の体験より数段上という事はあり得ません。(同じ様な考えの本に「物食う人々」と言うのもありますが)
ほとんどの長期旅行者は、無理して汚い食堂なんか入りません。そのレストランが高いか安いかは別として流行っているところは、混んでるしこぎれいです。まずければ食べなければいいじゃないですか。まずいと思って食べた物ほどお腹を壊しやすい物はありません。しっかり年収五百万の可能性を背負って歩いてる人なら美味しい物を食べるだけの余力はあるはずです。せっかく遊ぶために旅行に行ってるのですから、衣食住の三大ファクターの内の一つの食の文化を無視して、最初から現地の庶民の食堂は汚い、汚い食堂でも無理して入らねばならない、腹もこわさなければ現地の生活にふれることができないと結論を出すのは、現地の人の生活はとうてい旅行者の口に合わないような汚い食堂の食事にあると思う考えが根底にあるからでしょう。
こういう考えは背中の年収五百万の可能性とセットになっています。反面「所詮私たちは、貧乏旅行してると行っても、お金持ちだ」と思ったりすることでもあるわけですが、結論を「だから思い切ってまずい食事をしなければと」短絡するのも非常に考えもんです。
二千万円消費して上級者の仲間入りをしようとしたときに、何か一つスコーンと抜けきれない部分ができてきます。
海外旅行は豪華客船での世界一周であっても、ビジネスクラスの航空券を使ったパッケージであっても、一年以上費用を切り詰めながら旅行する貧乏旅行であっても、現地の人にとっては(昔は現地人と言いましたが)一緒に暮らす人ではなく横をスッと通り過ぎていく人達に過ぎません。通りすがりキクゾウさんなのです。
それはたまたま家族連れで見物に行った港で見上げた豪華客船の上から手を振ってくれた人か、家の近くを通った豪華二階建てバスの窓からちらっと見えた人か、町を地図を見ながら歩いていたジーパンに髪がぼうぼうの人か、の違いはあっても生活に追われてない遊びをしている余裕ある人達であることでは同じ穴のむじなです。このところを解ってない人は、いつまで経っても二千万使ってもあっち側へは抜け出せないのです。
旅行以外の他の趣味でも旅行と同じように計算をしてみるとマニアになるには最低二千万円くらいの投資が必要なようです。一千万円ではまだまだ、三千万円ではちょっと多い二千万円でちょうどという感じがしませんか。ですから九十年代後半の貨幣価値で判断すると、マニアになるには二千万と覚えてください。
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