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トラベルメイトトラベルメイト95

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「トラベルメイト95」
  1. 【説明会にて反発する人は】

     最初に取り上げた「清貧の思想」型の人を「日本の恥感覚、レトロ派」とすると、次の「十二万円で世界を歩く」型の人は、「体育会系、経済節約早回り早漏派」と言えます。そして松本君が体験しようとした世界、「ゴーゴーアジア派」は「文化系、貧乏あこがれ一度はスラムを見たい派」とでも言えばいいのでしょうか。割合で言えば一対一対三くらいでしょうか、最後のゴーゴー派が多いように思います。社会的に言えば最初に設定したように都会のあるいは都会に近いところの中産階級(この言葉も色々定義されていてこれだと言う物はないのですが単純に貧乏でもなく金持ちでもない家庭の人という意味で)か、田舎の小金持ち階級の人達に特有の考え方のように思います。

     「通り一辺倒ではない本物のその国の文化を体験したい、観光ではなくその国の生の生活を体験したい、薄っぺらな物まねだけの日本の文化ではなく貧しくともいきいきしているアジアの庶民とふれあいたい、ブランド商品をその名前だけで行列して買うような団体観光客、パリに住んでるパリジャンは一つの商品を買うにも時間をかけて自分に会う物を選ぶ決してお金をかけるだけではないシックな生活それが歴史と文化の重みでしょう。」

     ゴーゴー派はアジアだけではありません。南仏プロバンスにもミラノにも同種近いのは存在します。でもたくさん生息できるのは経済的なレベルが日本よりかなり低い地域でなければなりません。レベルが同じか上の所ではとたんに活動が鈍り直ぐ活動しやすい環境の所へ移動を始めます。しかし実際の生息範囲より多くの精神的生息範囲を誇ります。「こんな旅行が良いな、こんな旅行をするのはあなたでも簡単にできます。」考えるだけならそして短期間だけならどこだって理論的に可能だからです。

     実際にゴーゴー派のような旅行をするのは普通の人に可能なのでしょうか。そうであるならばなかなか良い旅行の仕方だと思います。松本君のケースを参考にして貰えば長期の旅行はなかなか大変だと言うことが解りますでしょう。大変の一歩手前のトラベラーズハイの状況で帰国するには多分三十日から六十日くらいまでの期間で旅行を切り上げねばなりません。

     彼は旅の方法として「できるだけ金をかけず無理もしないで、時間をかけると言うことだけである」と簡単に言ってますが、いまの日本で簡単に三十日の休暇を取れる人はどんな人でしょう。(六十日とは言いません、せめて三十日です)。個人旅行に出かかられる人は年齢で言えば高校を卒業した十八才くらいからでしょう。このくらいからの年齢の青年で旅行に出やすい人達は圧倒的に大学生です。それ以外の人は三十日の旅行をするだけでいったんいま属している職業を清算せねばなりません。いろんな意味での自由業の人は働いても良いし働かなくとも良いわけですから、お金さえあれば大学生に次いで旅行しやすい人達です。でも、いま十八の人も一年経てば十九です。二年経てば二十歳になります。
    年をとるにつれ自由業での生活を続ける(あるいは続けれる)人は少なくなっていきます。

     ほとんどの人が二十五〜三十前半にかけて、日本の社会のどこかにひっかっかる形で属す事になります。そうなったあとの大部分の人達は三十日の旅行さえ非常な贅沢な話ではないでしょうか。男性より休暇がとりやすいと言われる女性の場合はどうでしょう。アルバイトの立場で、休暇がダメと言われたときにやめればいいやと思っている人以外、休暇がとりやすいと言っても限度があります、みんなが休める年末とか、お盆、五月連休の前後に数日間の追加の休みを加えて二週間くらいまとめて休めるのが最大のメリット程度だと思います。

     年をとって退職して年金生活に入り時間も金もそうそうある人は三十日くらいの日程をとることは可能です。ところが今度は年齢による体の衰えと、いまの若い人のように海外にそれほど慣れてないことがネックになってきます。

     簡単に蔵前氏は時間をかけることと言ってますが、時間をかけることは普通の人達にとって一番とも言える贅沢なことではないでしょうか。ゴーゴーシリーズの本の対象は一般の人ではなく、少なくとも旅行にかなりの時間を割ける人か、書斎旅行者だけの限定された人達対象だとでもおっしゃるのでしょうか。多分そうではありません、普通の人にも簡単に、考え方一つで私が旅行しているような旅行ができますと薦めておられるように思いますが。そう思ってゴーゴーアジアを読んでいきますとありました、日本から出ていくビジネス客も留学の学生もすべてひっくるめて千九百八十八年当時の海外渡航者数七百万人に呼びかけているところが。

     ページ二百六十九「豪勢とはいかなくても、とにかく世界を歩き回れることの幸運さを感じないわけにはいかない。世界五十億人のうちそれが可能な人間は四分の一にも満たないのではないかと思う。僕はたまたま、その旅の可能な七百万日本人の一人だった。だから早く旅に出たい、と心から思う。もし読者が、自分も七百万人のなかに入るとお思いならば、あなたとどこかの旅先の安宿でお会いしましょう。」

     普通の人は安宿であなたにお会いできるチャンスさえないのです。それは違う、安宿に泊まるのは簡単なことだと反論が来そうです。オリエンタルホテルに泊まるには沢山のお金が必要だけど安宿はお金が必要ない、誰だって泊まれるじゃないか。でもねー、三泊四日でバンコックに観光旅行に来て安宿に泊まって楽しいでしょうか?観光しなければいいじゃないかと言われそうですね。三泊四日できて観光地を回らない旅行など考えられますか?たった三日間の間カオサンロードの旅行者のたまり場でボーとしてればいいのでしょうか。

     ゴーゴーシリーズに出てくる長期旅行者達は、一目で日本を出てきたばかりの人と判別できる雰囲気を持っています。五ヶ月滞在の松本君には多分その後何年か後バンコックに三泊四日の安宿滞在旅行をしても、五ヶ月間の滞在中に付けた雰囲気は薄れていても形は残っているので、長期旅行のマーキング済みの香りはします。六十日の松本君は微妙なとこです、本人はマーキング済みと思っていても相手が同類だと思ってくれないこともあります。そんななかで、一人浮き上がってたまり場で食事をするってのもなんだか胃に悪い状況です。まとまって六十日とかのぶらぶら旅行を経験したことのない人は、どうひっくり返っても長期旅行者にとってあっちの人間です。いくら本を読んで、映画を見て、考えたとしても体臭は変えようがありません。その体臭を刷り込める期間は最低でも三十日普通には六十日が必要です。

     いままででその期間が取れなかった人はまず仲間に入っても違和感がお互いあってどうもしっくりいきません。要するに大多数の普通の人には短期間で安宿に泊まって旅行を楽しむことなどできないのです。時間をかけてじっくり旅行をすればいいと確かに彼はいっていますが、普通の人にとって時間をかけること自体非常に贅沢なことです。

     頭で貧乏旅行は現地の人の生活とふれあえるから一番安く合理的な良い旅行と思っている人は、貧乏旅行が簡単にできる人はかなりの経験とコストをかけた人しか不可能だと説明を始めると、絶対には素直にとってくれません。まあ本当に何カ月も長期の旅行を続けた人はこの辺が良く解っていただけるとは思いますが、こういう人はわざわざ旅行の説明会に参加することもありません。素直にとってくれないこと自体が初心者の証と言えば証なので仕方がないことかも知れません。

     何回も繰り返して言いますが「時間をかければ簡単にできる安宿に泊まって放浪する、心なごむ旅」は、普通の人にとってとんでも無く贅沢な物です。他の仕事とか趣味を全部捨てて「旅行という趣味」のマニアにならねばできないことだし体験できないことなのです。そしてそれを長く深く体験すればするだけ安定した面白い生活が待っていて、例えば日本に帰国すればそれなりの、あるいは帰国しなくともそれなりの事ができるのでしょうか。出版社とか新聞社が直ぐあなたの写真とか文章を買ってくれるのでしょうか。貿易会社があなたの国際体験を買って直ぐ雇ってくれるでしょうか。

     三十年前なら海外旅行者は、特に個人旅行者は貴重な存在でした、二十年前ならまだ少しははったりが通用したかも知れません。旅行者自身がまだ旅行してきただけで社会的存在であり得た時代でした。でもいまは長期旅行をして放浪を続けようが沈没しようがそれはもうあなたの個人的体験でしかあり得ません。あなた自身には目新しい発見であっても、これだけ旅行者が出ていってる状態ではほとんどの体験がもう出尽くした何の目新しくもないことなのです。もしあなたが時間もお金も旅行から帰ったときの居場所もあるという恵まれた条件なら「ゴーゴーアジア」風な旅行をするのも悪くはありません。でもかなり無理をしないとゴーゴー派旅行には出れない人ならばやめておいた方が無難です。旅行は遊びのうちの一つです。無理な遊びは難行の一つです、ちっとも楽しくはありません。無理をしない範囲での旅行は、蔵前ワールドの中にも、下川ワールドの中にもありません。

     海外旅行はお金がかかると言うシンプルな現実に立ち返ってください。海外旅行に貧乏旅行はあり得ません。(少なくとも小金を持ってないと旅行には出れません)それは正確に言えば予算が不十分の旅行です。不十分ならできることは一つ、十分な予算を作るようにすればいいのです。

     「万難を排してもゴーゴーワールドを体験したい。」そうおっしゃる人もいます。こんな日本より、より真実味のあるアジアアフリカへ自分探しにいきたい。どうしてもと言うなら止めやしません。

     「すべてを放り出しても出発する、絶対あの旅行は普通の人だってできる、予算だって安宿で泊まれば無駄なお金を使はなくとも良いし。」止めやしませんが、すべてを放り出してもと言うことは本当にすべてがなくなることもあるという事を納得してから出発することです。それを解ってからならかまわないとは思いますが。

     「でも彼ら放浪旅行の達人は、トラブルはあったにせよ何とか切り抜けて良い旅行をしてるじゃないか、私だってできるはずだ。」できますよ、できないとはいってません。可能性としてはね。もうちょっと頭を冷やして考えてみてください。あなたの立場と、本を書いている人達の立場を。この本の最初の方でレイノルズ数の話をしました。これからそう大した体験もないあなたが旅行に出かけるのと、七十年後半から毎年旅行に出かけてる人のレイノルズ数。そしてレイノルズ数が極端に高い人が書いた体験を、レイノルズ数コンマ以下の人がいまからなぞりに出かける。しかも十分な予算なしに。誰でも最初は初心者だというのは真理ではありますが!

     結局は時間をかければあなたも慣れては来るでしょう、でもそこへ至るまでの道のりは、文章になってる部分などほんの一割もないでしょう。後の九割が突然目の前に現実として現れてきたとしたら。十年後トラベルライターか作家でデビューするまで石にかじりついても頑張るという人ならかまいはしません。それなりに考えがあるでしょうから。ただ遊びで良い旅しようなどと思ってる人どうします。何カ月かの海外旅行はまだ日本にそれなりのコネは残っています。もし一年を越えたら帰るところがなくなってきます。あなたの属している国に足場がなくなっていくのです。

     良い旅しようと文章を書いている人達はどうでしょう。本の帯に「世界放浪の達人」と書いてあるように日本に足場がなくとも放浪しながら文章を日本で発表し続けているのでしょうか、それならあなたも安心です。足場がなくなっていても直ぐ海外の貴重な体験を語れば日本で受け入れてもらえそうです。

     「裕福な暮らしでなくとも何とか暮らせるくらいの日本での生活は、放浪の体験を生かして帰国してから文筆活動で維持できそうです。」なんて出発前から、捕らぬ狸の何とかをしていませんか。

     本当に彼らが放浪してその体験を書き続けているとお思いですか。十何年前の最初のころはそうだったかも知れません。いまは放浪ではなく、取材で旅行をするケースが大部分でしょう。彼らの旅行は経済的に再生産が可能です。あなたの旅行は、消費活動そのものです。しかも、彼らは日本にちゃんとアンカーボルトを打ち込んでから活動しています。(それが悪いといってるわけではありません、何カ月か日本を留守にしても帰ってから直ぐ活動できる場所とかコネを作っておくのは大変重要なことです)あなたにはアンカーボルトはありませんでしょう。ちゃんと彼らは、ここ十数年の活動中にコネクションを日本国内に作り上げてから旅行に出かけていってます。単純に気分が向いたから闇雲に旅行しているわけではないのです。本に書いてあることだけを鵜呑みにして旅に出てはいけません。彼らだって水面下ではアヒルの足かきは毎日続けているのです。

     どうですまだ説明会の「安くて良い旅行はない、貧乏旅行は贅沢品だ」と言う説明にまだ文句を付けたいですか?
     「レイノルズ数がコンマ一以下でも、お金が十分でなくとも貧乏旅行なら大丈夫、現地の生活にふれる旅をしていれば世界各地の庶民が勇気を与えてくれると信じています。」そうおっしゃるのならもう何も言いません。でも海外旅行傷害保険だけは絶対にかけておいてください。多分あなたは無事に帰ってくることと思いますが、もし、もしも、です動かなくなって帰ってきたとしたら、扱いはエアカーゴ扱いで、格安航空券はありません。しかも体だけを送るわけにはいきませんから、回りはパッキングして送る事になます、この重さも半端ではありません。(普通に言うとパッキングのことを棺桶とも言いますが)こういうカーゴ(貨物)は業界用語でウエットカーゴと呼びます。ウエットカーゴつまりなま物は通常のドライカーゴより高いです。常にこのカーゴは片道です、まず往復と言うことはありません。ですから料金はその分では安くはなりますが、なま物ですから経費は半端ではありません。少なくとも一人旅で貧乏旅行をする人はそこまで考えて旅行しましょうね。

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