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トラベルメイトトラベルメイト95

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「トラベルメイト95」
  1. 【松本君の選択】

     彼の選択は大きく分けると二つになります。オータカムンドに沈没するかカトマンズに行くかは別としてインド亜大陸のどこかに滞在を続ける、もう一つは日本へ帰る。

     前者の選択をすれば自分自身を見つめ本来の自分を探し出すことができるかも知れません、後者の選択をすれば自分探しの旅はいったん中止です。選択の余地は両方可能ですが、体は一つですのでどちらか一方を選ばねばなりません。正しい方というのはあり得ませんのでどっちに転んでもそれなりに人生は転がっていきます。

     ただし選択した後である瞬間を切り取ればあのときの選択は正しかったか誤っていたか結論らしいことは出るでしょう。その後十年後真反対の結論が出るかも知れません。

     例えば彼がそのままインドに滞在した場合はどうでしょう、続きを読んでください。オオタカムンドは夏は避暑地としては最高です。でも天国は、地獄とか現世があっての天国です。広くはない街のこと、二週間も滞在すれば飽きてきます。毎朝起きてホテルのおやじにおはようと言って、おきまりの食堂で朝飯を食べてその後コーヒーを飲んで少しの間外を見てぼーとする。それから後はやることがありません。

     街の観光スポットはほとんど回りました。あと残っているのは泊まりでしか行けない山のなかの観光地か、英文のパンフレットにも一行か二行でしか説明されていない場所です。ホテルに泊まっている外国人旅行者との交流もまず日本人は今は私だけ、他の暇そうなのも語学力不足で天気の挨拶とかこの観光地へ行くにはこのバスが良いとか、せいぜい二十分ほど喋ると話すことがありません。今日はちょっと眠いので部屋に帰ってもう一度眠ることにしました。

     起きたのは十二時過ぎ、お昼の時間です。いつも行ってる食堂は飽きてきたので、少し目先を変えて中華料理にすることにしました。現地の料理より料金は二倍はするのですがセットでとらなければ、一品料理にスープだけならそう払えない金額ではありません。久しぶりの中華料理です。焼きめしに卵スープではありますが豪華な気分になりました。

     食事中小学生くらいの子供を一人連れた東洋人の夫婦とインド人の夫婦がレストランに入ってきました。かなり流ちょうな英語で話をしています。私はと言えば、食後のジャスミンティーを飲みながらこれからどうしようかと考えていました。
     「あのおじさん、日本人かな?」
     突然日本語が聞こえてきました。あの子供が母親に聞いたようです。
     「さー、どうかな、それよりXXXした?」
     母親はちらっとこっちを見ながら、答えていましたがXXXの部分は聞き取れませんでした。
     「まだ」
     「そー、漫画でも見てなさい」
     母親に言われて子供はドラゴンボールを鞄から出して読み始めました。普通の日本人がこんな所にまで来てるんだと思うと何か複雑な感じがします。たまに旅行者ではない一般の日本人に会うこともありますがほとんどの場合会ったと言うだけで話をすることはよほどのことでもない限りありません。現地の色々な人と接触しながら旅してる旅行者と、日本の経済力そのままの、場合によっては数倍グレードの高い生活をしてる人達の接点は元々ないのかも知れません。私の希望としてはドラゴンボールを一日でも貸してもらえればそれだけで過ごせるのにと思ったのですが、そんなことが言える雰囲気ではありませんでした。中華料理屋を出て、バザールをぶらぶらして久しぶりに散髪してホテルへ帰りました。散髪するのはバンコック以来二度目です。

     夜、所持金を数えてみました。千五百ドルはあります。カルカッタからバンコック経由の東京行き航空券はあるのですが、一週間以内にバンコックまで行かないと、バンコック東京間のパキスタン航空の有効期限が切れてしまいます。この部分の航空券は安い物で四百ドルくらいでしたから、カトマンズまでの航空券を考えに入れても千ドル弱は滞在費として残ります。多分学校は何とかなります。お金の続く限り日本へは帰らないことにしました。今週末にはボンベイへ向けて出発することにしました。やっと移動します、ここに来てからもう二十日間くらい経ちます。危うく沈没しそうでした。

     さすがに五月のインド内陸部は酷暑です、ふらふらになりながらバスを乗り継いでボンベイに着きました。ボンベイの安宿に三日滞在ここでデリー経由カトマンズ行きの航空券を購入、バンコックの時と違ってもうなれたものです。安宿に泊まっている旅行者から大体の相場と良い旅行会社の情報を仕入れ半日で即決です。せっかくデリーを経由するわけですからここでも一週間滞在しました。

     ここももう都会です。ケーブルテレビはあるは、女の子の服もあか抜けてサリーとかパンジャヤブ服(インドの女子学生がよく着ている民族服)よりミニスカートの子が多いようです。ボンベイも、デリーも都会はやはりもうインドではありません。五月のデリーは日中は猛烈な暑さで外出もいやになるくらいのとこです。ニューデリー駅近辺の安宿も毎日暑くて旅行者はぐたーと、皆死んでいます。こんな所には居たくありません、オオタカムンドのあの快適な気候が懐かしく感じます、あそこを出てこなければよかったと今思っています。物価は高いし人は多いし親切ではないし、TVは衛星放送で香港とか英国のニュースとか音楽番組を流しているし、日本よりポピュラー音楽では流行が早いような気もするくらい動きがあるし。旅行者もうんざりするくらい多く、さすがに日本人は酷暑と言うことで団体さんの姿が少ないくらいで個人旅行者の姿はあまり減ってはいません。

     私も最初のころは安宿であった日本人旅行者にはなるべく話を聞くようにしていました。ヨーロッパの話、中近東の話、アフリカ旅行の話、アメリカの話、インドの話、それと安宿の情報。でもそれは今役には立ちません、切実な問題は部屋にエアコンがないため夜眠れないことです。暑さで食欲もありません。昨日食べた油物がどうも悪かったらしくお腹の調子も最悪です。何をするにしてもかったるくて動く気がしません。

     モロッコ産のフラワートップが一番だって、いやタイのブッダスティクが一服で効く、そんなもんどうでもいいことです。同じ事はもう三回も聞きました。カルカッタに沈没してる奴からと、アムステルダムから陸ずたいに来た男と、コチン(南インドの町)に三ヶ月居た奴と。

     外に出る気にもなりません、部屋にいても暑いだけでやることがありません。公園も早朝か夕方以外はドライヤーの風が吹きまくっています。カトマンズ行きの飛行機は三日後です。こうなると仕方ありません奥の手を出すしかありません。安くて一日中居てもかまわないところ、それは博物館です。この際どこの博物館でもかまいません、エアコンが効いているか、風通しがいいとこであればどこだって良いのです。地図でなるべく近くで大きそうな博物館を数カ所ピックアップ開館と同時にゆっくり見て回りました、しかも博物館の回りには必ず軽食屋もありますから昼食の心配もありません。やっと後三日は切り抜けられそうです。

     カトマンズに着いた時は体調は最悪でした。気候がインドより涼しいことと、人間がソフト、日本人が多い、ネパール人は日本人に顔が似ている、日本帰りのネパール人も多い、

     食事がインドより日本人の口に合う、気分が一気にゆるんだこともあったでしょう。熱が出て寝込んでしまいました。最初の数日間は四十度近くの熱が続きました、熱が下がったのは十日ほど経ってからです。インドのボンベイから続いていた食欲不振もようやく治り猛烈にお腹が空きます。脂っこい物はまだとりたくはありません。まだ千ドル強はお金があります。バンコック東京を買い足すとしても滞在費はまだまだ余裕があります、和食を毎日食べる勇気はありませんが、中華なら安いところがあるので毎日通っても一週間なら大丈夫そうです。今までなるべく現地の食べ物を無理しても食べるようにはしてきてたのですが、体が受け付けないのでは仕方ありません。

     それから一週間食べに食べ続けました。日本の基準から言えばそれでもまだ安い食事ではあったのですが、今回の旅行に関してはぜいたくな食事です。中華料理は二週間にいっぺんと決めてずっと守ってきたのです、決めたことを破るのも残念ではありましたが今は健康回復が一番重要です。一食ごとに体が栄養を吸収して元気になっていくのが解ります。この頃になるとカトマンズも泊まってる安宿の近くはやたらと詳しくなりました。その代わりと言っては何なんですがいわゆる観光地への興味は薄れてきました。その観光スポットがたまたま通りがかりの所にあれば見には行きますがそうでないときはわざわざ行く気にもなりません。東京の大学に通って三年その間東京タワーには一度も行ったことがないのと同じ様な物かも知れません。これが旅慣れって奴なのでしょう。

     カトマンズももう滞在が一ヶ月近く、そろそろ飽きてきたのでポカラへ行くことにしました。もう二ヶ月早く来ていれば山歩きもできたのですが、季節はモンスーンのとっかかり、ヒマラヤには雲がかかっていてよく見えません。カトマンズよりもっと天国だと言う話なのでバスでポカラへ向かいました。数時間のバスの旅の後にポカラに到着しました。

     季候のいいときは文字通り全世界から旅行者がたくさん集まってきて旅行者のバザールになるのですが、雨期はさすがにその数は半減してしまいます。それでもペワ湖の回りのホテルには長期の旅行者が毎日ぶらぶらとしています。食べ物はイタリア料理から中華、チベット料理、和食までよりどりみどり、すごく美味しくはありませんが値段と場所の割にはまあまあという所です。

     天候は日増しに悪くなってきます。スコールのような雨が日に二、三回降るかと思えば太陽がカッと照りつけたり、そうかと思うと雲の合間にはちょっとヒマラヤが顔を出したりする事もありました。雨の降る時間と回数が日に日に増えてきます。本格的なモンスーンが来たようです。アメリカ人などは雨が降っても雨具を持ってトレッキングに出かけたりしていますが、私はごめんです。毎日何をすることもなく過ぎていきます。

     もう六月も半ばです、友人に学校の方はどうなっているか電話しました、ちょっと出席日数が足らない科目がやばい雰囲気はありますので気にはなっていたのです。まあ学校の方は何とかなってはいましたが、親がすごく心配しているので直ぐ電話しろとの伝言。そういえばインドから手紙を出してから二ヶ月が経っています。

     電話すれば文句をぶうぶう言われるのは解っていますのでかけたくはなかったのですがまあ久しぶりなのでかけることにしました。もちろんこっちの懐の痛まないコレクトコールです。お袋とおやじとから小言を貰い、久しぶりに弟とも話して少しほんの少しですがホームシックに罹りました。直ぐ帰ってこいと言われても帰るのもおっくうだし、このままポカラにいても退屈だし、他へ行こうにも金はないし。

     いまもうカルカッタに到着したての新鮮な感動はありません。回りの旅行者がみんなすごく見え、夕食の後のコーヒータイムに話される色々な話に感動した私はもうすり切れてしまったのでしょうか。あれからまだ三ヶ月くらいしか経ってません。

     一人旅って退屈です、そうそう気が合う旅行者と毎日出会って居るわけでもありませんし、顔を合わせる連中と言えばレストランのボーイ、レジに座っているおやじ、ホテルのおやじにボーイ、タクシーの運ちゃん、バザールのチャイ屋のおやじ、土産物屋のおばさん、バザールのスパイス屋のおやじ、レンタル自転車屋のあんちゃん。

     退屈なのが少し解消されるのは雨期にも関わらず時期はずれの蝿のように突然迷い込んでくる、新参の超初心者一人旅貧乏旅行者です。真新しいウエストバックにリュック、まだ薄汚くはなってなく、髪もぼさぼさにはなっていません。もう私もいっぱしの旅行者の端くれです。いままであちこちの安宿で聞いた話の総動員です。

     最初はここポカラの情報から話は始まります。狭い町のこととて一週間もあればほとんどの所は行き尽くします。それをいかにも数十日居るから持ってる情報のように重く話すのです。夜も更けてくると本番の始まりです。ある夜は、ヒマラヤトレッキング中の不思議な話から始まります。あるいはパキスタンで行方不明になった日本人スチュワデスの話の時もあります。ポカラのローカルな恐い話の時もあります。次の日の昼間は行ってもいないトルコとかアフリカの話だったりします。

     少なくとも数日は暇つぶしにはなります。でも十日も同じ所に滞在された日には相手も慣れてきて先輩風が吹けなくなっていきます。回りの旅行者もほとんど似たり寄ったりの人達ばかりなので、特別私が旅慣れているわけではないことが解るからです。お化けは一人の時は恐いですが、回りがお化けだらけならばそれなりににぎやかでちっとも恐くないのと同じです。

     また退屈な日が始まります、夕食の後は旅行者仲間とだべってレストランの閉店時間まで粘り部屋に帰って寝る、起きるのは十一時過ぎ、朝と昼同時のブランチをたべて、雨なら夕食まで部屋の前のベランダでボーとしてるか、パイ屋で紅茶を飲むか、晴れなら二時間ほどの散歩を追加。

     旅行に出たての時は毎日が緊張と勉強の連続でした。旅行者のたまり場のレストランで話される話は「世界」を感じさせすごく自分が変わっていくように思いました。でも四ヶ月たったいま病気で体力を消耗したこともあったのですが、毎日が退屈で、かったるい日々です。少しは血沸き肉踊る日々があるかと期待はしてたのですが、そう思えたのは初心者のころだけで慣れるに従って「旅」にもそれなりの日常があることが身に染みて解ってきました、毎日毎日アドレナリン増産生活では体が持ちません。たった四ヶ月でそうです、私は小さいころから飽きっぽいと言われてましたがそれにしてももうちょっと経ってから退屈になって欲しかったように思います。

     出発前に読んだガイドブックには個性的な旅行者とか、面白いエピソードがイラスト入りとか写真付きで説明されいました。ちょっと良い話ばかりで、パック旅行でなく現地にとけ込む旅行をすれば自分も同じ様な体験ができると思っていました。でも冷静になって考えてみると面白いエピソードなど毎日朝昼晩とあるわけではありませんでした。一日一回もありません。一週間に一度はなんとかそう思おうと努力すればあるかなと言う感じです。一日一日は旅先でもたんたんと過ぎていきます。こんなはずはない、こんな事をしていたら旅行に来た価値がない、何かしなければと毎日夜寝る前には思うのですが朝起きたときにはやるべき事がよく解りません。

     もうお金も残り少なくなってきました。やはり一度日本に帰ることにしました。明日カトマンズ行きのバスの予約に行こうと思います。

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