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トラベルメイトトラベルメイト95

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「トラベルメイト95」
  1. 【後二つの本のついて】

     これから取り上げる本は沢山の旅行関係の本のリストから選び出した物ではありません。新宿の紀ノ国屋の旅行関連の本のコーナーから、旅行について書いた本を二冊ピックアップした物です。本来なら数日間かけて図書館の旅行関係の本のリストでも調べて何冊か読んでピックアップするべきなんでしょうが、簡単に今直ぐ手に入る本と言うことで取り上げさせて貰いました。ですからもっと旅行を説明するにはいい本があるぞとか、同じ著者の本でももっと違うのが良いぞとかあるかも知れませんがそれはそれこれはこれと言うことで、ええ。

     まず最初は「十二万円で世界を歩く」朝日新聞社刊、下川祐治著です。彼は一九五四年生まれ、今年一九九五年現在四十一才でしょうか、写真とか経歴を見ますとプータロウ風でもなくいわゆる取材記者風の恰好で、一口で言えば昔から新聞社にいるぶんやの海外版、フリーオーバーシーズ「ブンヤ」とでも言うとぴったりです。ズボンはチノパンツ、シャツは綿の開襟シャツ(寒いところでは厚手の綿のシャツ)、靴は、わお!スニーカーでなく普通の革靴だ、カワグツで赤道の上に座ってる。

     長期の旅行を続ける人にはいろいろの服装の変化があります。まあ一般的なオールマイティの恰好がGパンにTシャツかトレーナー、あるいはポケットの多い綿のシャツ、靴はスニーカー暑ければゾウリ、男も女もあまり変わりません。

     北米とかヨーロッパ、オセアニアを旅行してる分には服装のメーカーが変わったり薄汚れてきてみすぼらしくなったりはしますが、基本パターンは変わりません。ところが、インド中近東、アフリカ、南米、アジアを旅行していると現地の服装が楽だったりするので、クルタパジャマとかパンジャビになったり腰巻き(バリ島ではサルンと言います)をしたりするわけです。

     最初は日本での外人の浴衣姿と一緒でみっともないもんですが続けるうちにさまにはなってきます。こういうのも旅行の楽しみの一つで、服装を変えると気分も考え方も変わる体験が出来ます。現地の服装というのはもろに文化のにじみでた物で、少なくともあなたの社会に敬意を払ってますよ位のサインは相手も解ってくれます。一言で言えばマーキングみたいな物でしょうか。相手の受けをねらうにはぴったりです。

     彼の恰好はなんと言おうかおじさんファッションというか、カジュアルな服というとゴルフ用のニットのズボンに原色のポロシャツと言う感じで、いかにも取材がチノパンツに革靴で歩いてるような旅行を楽しんでいる風にはどうしても思えない雰囲気がします。まあどんな恰好をしようが大きなお世話ですから、特に旅行中はですが、良いんですけどね。

     さて、下川氏が旅行を始めたのは八〇年代の初めからです、次にでてくる蔵前仁一氏も同じく八〇年代はじめでしょう。この頃はやっと海外個人旅行が一般的になってきた第三世代とでも言うべき世代です。小田実の五〇年後半から六〇年にかけてがパイオニアの第一世代とすると、彼の本を読んでどうにかして海外旅行をしようと思っていたのが第二世代(ほとんどヨーロッパ旅行ですが六〇年代は薄手の文庫で海外無銭旅行なる本が何種類も出ました、今から見るとせいぜいヨーロッパ三カ月とか半年くらいの旅行なのですが、

     六〇年代に中学校高校生だった者にとっては夢物語を読むのと同じでした)、彼ら第二世代が旅行に出かけれるようになったのが七〇年代に入ってからです。それまでは純粋に経済的な問題でなかなか海外旅行に出かけるのは大変でした。

     今はほとんどの人がちょっと斜に構えて言うあの「地球の歩き方」は、七〇年後半から出版が始まりました。第三世代は旅行情報があふれ始めると同時に旅行に出始めたのです。旅行に出るのに経済的な問題はかなり解決されるようになりました。円は強くなり持ち出し外貨の制限も緩和され日本製品は世界にあふれまずジャパンを知らない国の人はいなくなった時代です。

     それまでのキーワードは「海外無銭旅行」でしたが、八〇年代に入ってからは「海外自由旅行」に変わっていきます。これらの影響をこの二人の著者は、意識するしないに関わらず色濃く受け継いでいます。下川氏は無銭旅行のエッセンスも自由旅行のエッセンスもどちらも主食の混ぜご飯、蔵前氏は自由旅行の焼きめしに、無銭旅行をスパイス程度でぱらぱらとのっけている感じです。

     お年寄りの方がよく投書などをしたり、学者の先生方のエッセイなどには「清貧の思想」風な者が多いようですが、中学生辺りから壮年まではよほどへそが曲がっているか、進みすぎている人以外は「無銭旅行」「自由旅行」の二文字に影響されています。正直者の私たち二十四人は旅行の説明会で話すときや文章をどこかにのっけてもらうときに、必ず反発を食らいます。「清貧の思想」派だけでなく「十二万円の旅」派からも「ごーごーアジア」派からもです。

     「私たち団体で旅行はしたくはありません、自由旅行を安くしたいんです、なのに旅行はお金がかかるという話ばかり」

     「買い物ツアーなど現地の人がどう思っているかご存じですか、それなのに本人がお金を払って行ってるんだから別に悪くないなんて考えがどこから出てくるのでしょう、お金を使う旅行はかえって現地の人の暮らしぶりを体験できず観光地だけを見てかえるだけになってしまいます。そんな旅行何のために行くんでしょうか?それこそお金も無駄使いです。」

     私たちの側も二十四人もいれば色々な意見の人がいて考え方は一つだけではありません。確かに日本人はと言われる原因は日本人にもある、いやそんなもん無い、ある時もあれば無いときもあるすべてケースバイケースだ話し始めると二十四時間でも討論は続きます。そして決まって一つの結論は出ません。結論が出て討論は終わるのではなく、疲れたから討論は終わるのです。

     だだ、一つの共通なものはあります。それは、良い旅(色々な意味と、イメージがあるのでしょうが)をするには、時間とコストがべらぼうにかかると言う一点です。

     ストレートな言い方をする人、うまいたとえで会場をわかせる人、訥々と喋る人、時間とコストをかけてる最中のことばかりを強調する人、時間とコストをかけきった後の楽しい旅を話す人、対する聞き手も反応は色々です。何回も繰り返し反応を受けていますと、しゃべり方がストレートか、ソフトかの問題で反発が来てるのではないと感じるようになりました。基本的なところで考え方が違っているのではないかと思うようになったのです。で、ストレート派のものが「考え方が基本的に間違っている」とこれ以上無いくらいそっけなく言いますと「あんたの自慢話を聞きに来たんではない、もっと観光地などを回るツアーではない本当の旅をした人に話を聞きたい」。

     悪かったです、あまりストレートにものを言い過ぎて自慢話に聞こえたかも知れませんが、自慢をしたくて話しているのではありません。私どもの話がより実用的で便利だから話しているのです。少なくとも、私達旅行で勝負したら旅行者の上級の下の人まで全員が負けません。

     出発前の想像の世界ではどんな考えを持っても、どういう方法で何日間の旅行でいくら使う予定でもかまいません。まだ現実ではありませんから。中級クラスまでは一般的な本に出ている方法でなんとかはなりますでしょう。もう一歩踏み出すにはやはりプロの現実の旅行者のそして業者の実用的な話を素直に聞いて欲しいと思います。まだ一回も旅行に出たことのない超初級の人も自分の実力と、使える予算以上の旅行は出来るはずがない事を最初から理解して貰っていたらうんと良い旅行が出来ます。

     これから一見旅行者のために良さそうなガイドブックあるいは旅行記が、普通の旅行者にとっては本当は出来そうもないことを言っていることについて話します、ちょっとの時間を割いて、素直に今までの肩こりを取って聞いていただければと思います。

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