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入門講座理論編ー(44)
「鼻っ先」をすれすれで走っていくラビットを追い続けるといつか限界が来ます。足はがくがく、目は回る、心臓は破裂しそうになってきます。ならば、じっくり構えて歩けばいいと考える人も出てくるでしょう。長期戦という奴ですが、 この長期戦用にもちゃんとラビットは用意されています。
早くはないかわりに、どう追いかけても距離が縮まない逃げ水のようなパターンもあります。こいつは、心臓が破れそうになったり足ががくがくはしませんが、どう歩いても歩いてもそこには到達できない蜃気楼です。
典型的な蜃気楼物が、沢木耕太郎の「深夜特急」です。本人でさえ多分同じ体験はドキュメンタリー的にはしてないに違いありません。ドラマ仕立てには成功したとは思いますが。
蜃気楼を追って知らない街を強迫観念におわれながら歩き続けるのは、大変体も心も消耗してしまう行動です。
多分ほとんどの人は、面倒だ、こんなもんでいいか、明日やればいいさ明日、もうちょっと寝てようもう10分間だけ、こんなきっかけで自分の巣へ帰っていくと思います。そして半分後悔して、四分の一は反省して、最後の四分の一はいいわけします。
私思うに、後悔も反省もいいわけも必要ないことではないかと考えます。できないことはがんばってもできません。人が想像した物と同じ物を見ることなど絶対できません。本人さえ見てないのに、考えたかもしれませんが。(想像ではなく創造したのでしょう)
「かったるい止めよう」
これはあなた自身がこれ以上進むとちと危険だぞ判断してることです。心のままに従った方が身のためです。
何回も繰り返しますが「旅行」は遊びです。面白おかしくが基本です。面白くないのに、今に面白くなる、がんばらねば、と思うのは邪道です。日頃稼ぐための仕事では、常に反省と後悔といいわけしてますでしょう。効率も要求されてます。あなたのペースがどうであれ、なんとかその業界の平均をクリアしなければなりま せん。
遊びに出てまで人の書いた本とか、考えを基準にペースを合わせなければならないのでしょうか。
「眠い、もう10分、あーあきょうも寝過ごして一日の半分しか使えない。」
私らこれでいいと思いますよ。
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