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入門講座理論編ー(29)
「現地文化を生でふれあって」とか「現地の人の生活を体験して」これがどうして旅行中やらねばならないことの上位に入ってくるのでしょう。商売で駐在する人、留学で長期滞在する人、政府あるいは公的な機関での仕事で駐在する人は多分そうする時間があるし、しなければならないでしょう。
ある面では本当にそれが彼らの商売でしょうから。ましてや現地の人の知り合いが増えればそれなりに情報が増え得なことが多くなります。知らないが故のとんでもないことをしでかす可能性は少なくなっていきます。
そんなことは誰が見ても考えても自明の理です。だからこの種の人たちは「この自明の理」が唯一の真理として頭の中にあるのでしょう。またこの種の方々は、社会的レイノルズ数が大きいため、一般メディアで発言したり、本を出したりTV番組の企画したりするチャンスが非常に大きくなります。
例えば、その国へ長期の留学していた人で文才が少しでもある人なら、「誰も書かなかったA国」とか「A国の本当のところ」なんて本すぐ出版されそうです。メディアの特派員ならもうこれはうってつけです。
そして、そういう時間と予算に恵まれた(満足いく予算があるということではありません、普通の旅行者に比べ恵まれているという意味で)人たちでも「現地の人と生でふれあって」とか「現地の人の生活を体験して」ということは大変難しいことなのです。難しいが故によけい強調される面もあります。
レイノルズ数低い、普通の初心者の観光客が、短期間で駆け足で行く旅行に「現地の人と生でふれあって」「現地の人の生活を体験して」等と言うことができると思いますか?
マニアックに何年もかけて長期旅行中の人とか、年に海外旅行最低数回、それをここ10数年続けている人はそれなりのスタンスもってそれなりのコネクションと体験をしていることでしょう。現地の人の生活もある程度はわかってきます。
その上に、彼らの一番の強みは、何にもないところ、何にもない日、病気で一人で何週間も寝込んだときでも、それなりの一日を過ごす、すべを知っていることです。たくさんの過去の未消化の出来事がありますからそれを牛のように反芻すればいいのです。彼らにとって、「現地の人」との接点は常に絶対必要というわけでもないのです。
実際のところ観光旅行に、現地の生な人々はそう必要でもないのです。あなた自身が本国で「現地の生な人」なのに、海外に来てまで、自分の海外版の姿をかがみ見るようにみたいですか?私は絶対いやですね。
あなたが観光旅行に来て、普通のホテル(バスタブが付いてお湯のでるような)より安宿に魅力感じるのは、あなたの相似形である現地の生な人が安宿にはいないからと言うこともできます。どこの国でもこれだけは一緒です。
言い換えれば、普通に生活している普通の人は安宿などには泊まりませんしその世界からは最も遠いところにいる人たちです。外人旅行者が泊まる安宿の近辺の世界は、一種のインターナショナルな外人祖界地なのです。わくわくもするし、耐えきれないスノッブの匂いもするのです。そこが魅力といえば魅力なのでもあります。
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