第67回 悪態1 (2002/04/14)
昨日あたりから普通にもでってきた。胸にたまに鈍痛があるが鎮痛剤がほしくなるようなことはなくなった。オムツもとれ小便はしびんでできるようになった。体もかなり自由に動かせるようになってきた。
だが、胸内で出血した血液を排出するためにお腹には直径1センチほどの2本のチューブが挿入さているので、ベッドから降りて自由に動き回ることはできない。この装置はチェスト・ドレインといって2リットルぐらいの血液をためることができる。その量や凝固状態から内部の状態がわかる。時々チューブのところどころに血栓のような塊が付着しており、心臓の血管内部ではこれが閉塞の原因になっているらしい。
今はこんなことを見て書いていられるが、2日ほどは自分に何が付けられどうなっているのかさえよく分からなかった。体を起こしたりできればまだしも首を起こすことも、寝返りをうつことさえままならない。物を取るのに1センチがとても遠い。そんな状態なので回りを観察する余裕などあろうはずもない。
すべての余裕を失い必死の形相になった人間をいままで2度見たことはあるが、ましては今度自分がそんな擬似体験をするとは予想していなかった。普段はなるようになるさなどと軽口をたたいているが、その時が来てみるととんでもない傲慢であることを知った。
手術を終えICUに移動したのは全く覚えていない。全身麻酔をして人口呼吸器を取り付けられたまでは何とかで記憶がある。自分の呼吸も心臓も止められた自覚はない。夢のように何らかのてがかりもない。全く手術した記憶や自覚がないのだ。ICUで目が覚めかかるてきても論理的な思考回路がうまく回らない。薬で視覚神経がおかしくなっているらしくものは見えても文字が判別できない。目の前のステーッカーにICUと刻印されているのがが分かったのはだいぶ経過してからだった。
最初に分かったのは「手術は終わりましたよ」という看護婦さんの言葉だった。聴覚のほうが論理的に働いている。
それにしてもICUというところは過酷だ。集中治療室というから病棟とは違って何もかにもそろっていて看護婦さんも一人に一人づつつくからスーパー病室のようなイメージでいたが、とんでもない勘違いだった。24時間明かりはつきっぱなしだし、時間感覚を刺激するものもない。窓や壁時計もあるにはあるが患者にはよくわからない。聞こえるのは自分の心音をモニタする器械音だけだ。どれだけがまんすればいいのか見当がつかない。
人工呼吸器をつけているので声がまったく出ない。意思疎通もままならない。おまけに耳が遠いせいもあって半分は分からない。大きな声でしゃべってほしいと思っても伝えようがない。腕一本動かすこともできず、やってほしいことや知りたいことは空回りするばかり。難聴者用ステッカーでも用意しておいてほしかった。喉もからからに渇きタンを出すときにする咳きが苦しい。
やっと一段落したのは鎮痛剤を注射してもらった時だった。薬品名はわからないが非常にトリッピーな薬だった。LSDのような幻覚作用はないが、効きかたがとてもよく似ていた。時間感覚が狂い、思考があちこちに飛びまくる。これは得した。楽しんでいるうちに眠ってしまった。
何時間起きて寝ているのかますます分からなくなってきた。家族も決められた時間に面会にきているはずだが、時間がめちゃくちゃになった。いてほしいときにいなくて、きてほしいときにはこない。もう何もあてにならなくなった。極限状態でもうどうにでもなれと悪態ばかりつくようになった。
面会にきた家族を追い返し、看護婦さんの寝返りを拒否した。手術で薬まみれになった体をくまなく洗ってくれたのだが、直後から寒くなってナースコールを探したがどこにもにあたらない。このままではまた敗血症になってしまうではないか。必死で氷枕をベッドの下に落とした。気がついた看護婦はしよがない患者だといっているように思えた。
やがて人工呼吸器をはずした。ただ引き抜くだけだからたいした手間でもない。しかし自力呼吸は蘇るだろうか。大きな酸素マスクにつけかえられた。やはり苦しい。練習していた呼吸法をくりかえす。乾ききった喉に水分がもどり言葉がでるようになった。
やっとでる声で「いつ病室にもどれるのか」何度も聞いた。そのつど曖昧な返事しか返ってこない。そんないいかげんなのかバカにするな。しまいにはもう一晩ここにいるつもりであきらめた。そのかわり鎮痛剤をもう一回要求。こんどもよく効いた。
回りのものすべてをオブジェクト指向で考えるとどうなるか。オブジェスト指向は最新のコンピュータプログラム言語の基礎になる考え方だ。ああもできる、こうもできるなどと遊んでいるとこのままでもいいやなどと思うようになってきた。
そうしているうちに病室に移動するという連絡がきた。せっかく楽しんでいるのに邪魔するななどとICU最後の悪態をついた。夜かと思ったが、病室にもどると夕方に日差しに溢れていた。結局9日の朝手術室に入り、昼すぎにICUに入り、夜中に目を覚まし、翌日の夕方病室にもどったことになる。延べ30時間におよぶ旅だった。
しかし悪態はさらに続く。
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