川端康成氏にノーベル賞
1968年・昭和43年
本年の明るいニュースは川端康成氏のノーベル文学賞受賞、小笠原諸島の正式な本土復帰、心臓移植手術の成功などである。しかし8月には飛騨川でバスが転落し死亡者104人を出し、12月には史上空前の3億円強奪事件が起こった。公害問題が表面化し、大学紛争が激化したのもこの年である。
日本人の海外旅行者数は引き続いて伸び、その増加率は毎年20〜30%(対前年比)の高さを示した。1月1日、アメリカのジョンソン大統領によって打ち出されたドル防衛策を受けて、これに対処すべく運輸省では「外貨の流出を防ぐための海外旅行の規制を行うことは考えていないが、この際不要不急の海外旅行は自粛を求めたい」という中曽根運輸省の声明が発表された。
本会の存在を1人でも多くの人に知って貰いたい、そして会員拡大のきっかけを作りたいという狙いから、朝日新聞大阪本社の学芸部担当・松井京子さんにインタビューを申し入れた。その記事が3月4日付けの朝刊に掲載され、全国各地から照会の手紙が殺到した。そして思惑どおり会員数が徐々に増加し、その範囲も全国的な規模で広がって行った。マスコミの威力を今更ながらのように感じた。
前年年間を通して実施した「現地事情を聞く会」シリーズが好評だったので、本年は「海外旅行のABC」シリーズを一年間にわたって市立勤労青少年ホームで実施した。いわば前者がタテ糸なら、後者はヨコ糸である。このシリーズを実施するに当たっては、事前に各月の担当者を決めておき、随時にゲストも招いた。また会員の要望により、月例会のほかに毎月第一火曜日をテーマなしの雑談会と決めてほとんど毎月開いた。また野外例会やさよなら例会も開いた。
一方WORLDの発行は順調に進行し、内容も月例会の報告記事をはじめ会員からの旅信や意見も掲載した。とくに旅信はその後のWORLDの中心的な読み物として、ユニークな存在となった。本年から古本君も編集陣に加わり、彼の作品(写真)が表紙を飾った。本年度の登録会員は113名で例会参加者は延べ377名、そして18名が海外旅行を実現した。
*月例会などの活動
◆1月15日
WORLD第15号発行
27日
シリーズ第1回「海外旅行の心構えと計画の立て方」、参加者30名。
◆2月10日
WORLD第16号発行
26日
シリーズ第2回「渡航手続」、ゲスト・魚谷和弘氏(近畿日本ツーリスト)、参加者35名。
◆3月5日
雑談会
15日
WORLD第17号発行
26日
シリーズ第3回「ソ連回りルートと南回りルート」、参加者33名。
◆4月2日
雑談会
10日
WORLD第18号発行
21日
野外例会で国際見本市を見学、参加者6名。
26日
シリーズ第4回「服装と携行品」、参加者28名。
◆5月7日
雑談会、5周年記念行事の説明を行う。
15日
WORLD第19号発行
27日
シリーズ第5回「税関・両替・郵便」、参加者37名。
◆6月4日
雑談会
15日
WORLD第20号発行
24日
シリーズ第6回「ヨーロッパのユース・ホステル事情」、参加者17名。
◆7月2日
雑談会
15日
WORLD第21号発行
26日
シリーズ第7回「乗り物」、参加者28名。
◆8月15日
WORLD第22号発行
27日
シリーズ第8回「食べ物」、参加者20名。
◆9月3日
雑談会
15日
WORLD第23号発行
27日
シリーズ第9回「万一の場合」、参加者38名。
◆10月13日
WORLD第24号発行
22日
シリーズ第10回「ヒッチハイクとアルバイト」、参加者25名
27日
野外例会で柳生街道ハイキング、参加者9名。
◆11月5日
雑談会
10日
運営委員会、参加者6名。
15日
WORLD第25号発行
29日
シリーズ第11回「記録の仕方」、参加者25名。
12月15日
特別例会(なんば若松にて)ゲスト・久保田弘子さん(旅のおばさん)、参加者20名。
*本年の海外渡航会員
出発日
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氏 名
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行 先
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出発日
|
氏 名
|
行 先
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2.25
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高田義弘
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世界一周
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6.
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谷口政則
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ヨーロッパ
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3.
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竹内和彦
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アメリカ
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7.30
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黒田八宏
|
アメリカ
|
3.
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内田浩子
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イスラエル
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.31
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片岡睦子
|
〃
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4.29
|
水谷正勝
|
アメリカ
|
|
出間久美子
|
ソ 連
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5.11
|
富田和巳
|
ヨーロッパ
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9.14
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鈴木ふく
|
ヨーロッパ
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6. 1
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野田ひろみ
|
〃
|
|
長島
|
〃
|
. 8
|
薮野次男
|
〃
|
|
永井正雄
|
〃
|
.18
|
山本裕子
|
〃
|
|
前川 進
|
〃
|
.18
|
山内信夫
|
〃
|
男11 女6 不明1
|
.29
|
田頭英治
|
〃
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計18名
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