VOL.61
インド(59) カルカッタからバンコクへ IR94/03/22
三月二二日午前三時半。寝静まった早朝のホテルの階段を、私達は自転車をかついでそろりそろりとおりていった。
「それじゃクラウス、ゆっくり行こう」
私達は彼のサドルで赤く点滅するライトに従って、夜明け前のカルカッタを空港に向かって走り始めた。人口一〇〇〇万の街も、さすがにこの時間はひっそりと寝静まっている。カルカッタのすすけた街並みが、発光ダイオードの鮮明な瞬きで赤く浮かび上がった。
道路には、ところどころ石畳の深いすきまが口をあけ、闇にまぎれてとても危険だ。これに前輪をとられると、転倒するばかりでなく、リムやフォークまで壊れてしまう。私達は頭につけたヘッドランプで路面を照らして注意深く進んだ。
空港に到着するころには、すっかり夜が明けていた。クラウスが出発案内のボードをみて険しい表情で戻ってきた。
「エアインディアが遅れている。バンコクでの乗換えに間に合わないかもしれない」
宿ではおしゃべりが止まらなかった彼も、旅が始まるとキリリとひきしまった顔になっている。
チェックインカウンターの列に目をやると、輪行袋をかかえた日本人サイクリストがいた。
日本には自転車を分解して袋にいれる「りんこう」と呼ぶスタイルがある。多少かさばるが、輪行袋を肩にかければ、鉄道や船も気軽に利用できる。しかし、この方法は自分で担ぐ場合には良いが、荷物として預ける時は、相当のリスクを伴う。袋の中にいれてしまうと、外からみて中に自転車が入っているとは思われないからだ。そのため、横積みにされた上に重いスーツケースがドカドカ置かれてしまうのである。壊れモノシールをべたべた貼っても、一〇数キロある荷物を特別ていねいに扱ってもらうなどと期待しないほうが良い。しかしそれでも、日本人サイクリストというとたいてい輪行スタイルだ。日本に着いたあとの電車での移動を考えると、どうしても輪行袋を使わざるを得ない。
「どちらを走ってこられたんですか」
私はインドで初めてあう日本人サイクリストに声をかけてみた。
「ニューデリーからカルカッタまで走りましたが、イヤーもうたいへんでした」
インドの交通量の多いコースを、短い日程で走るのは大変な事だと思う。
私達は自転車を預けるために、さっそく作業にとりかかった。まず、ペダルをはずし、サドルを下げる、ブレーキのワイヤーが物にひっかからないようにレバーからはずす。ハンドルバーは下げてま横に固定する。これで十分なのだが、破損防止のためにもう少し手を加える。変速器のアームは、チェーンをたるませて引っ込めた状態にしておく。万一右側を下にして倒されても、変速器のガードをとりつけてあるので、壊れる心配はない。最後にタイヤのエアを抜いて準備完了だ。預けられる荷物は二〇キロまで。自転車は約一四キロなので、軽くてかさばる荷物をあずけて、あとは機内手荷物にした。
「これはなんだ?機内への持ち込みはちょっとどうかな」
セキュリティチェックのでっぷりと太った係員が、私の工具をつまんでにやにやしている。
「見ての通り、単なる工具だよ」
「なにかいらないものはないか」
「自転車で旅行してるからあいにく余分なものは持っていないんだよ」
重たい工具を機内手荷物にすると、セキュリティチェックで必ず店を広げるはめになる。幸い自転車の工具は没収されずにすんだ。
すべての関門をパスして飛行機の座席におちついた。
私は飛行機を利用する一日が好きだ。特にインドの騒音と異臭、ほこりの中を数カ月走った後、エアターミナルの建物に一歩踏み込んだ時の落差はたまらない。エアコンの効いた広くて快適な空間には、発着便のアナウンスの声がクールにこだましている。来る日も来る日も安宿と大衆食堂を求めて喧噪の中を走ってきた私たちにとって、飛行機に乗る日は、特別ぜいたくなお祝いごとのような時間だ。これを旅行気分といわずしてなんと表現できるだろう。それではふだんの日は何かというと、それは日常であり生活であるといえる。機内では、椅子にすわっているだけで食べ物を運んできてくれるというのも非日常の極みだ。いつものように値段を問いただす必要もない。どんなに混んでも自分の座席は保証されている。そういえばカルカッタに来るときの寝台列車では、私たちのコンパートメントに割り込もうとしてドアをあけようとする人が何人かいた。そのドアを開けられまいとイボンヌが中から押さえていた時の光景は、今となっては愉快で懐かしい旅の一コマだ。
そんなことを思っている間に飛行機は離陸し、雲海の上をバンコクへ向けてさらに高度を上げていった。
インド編 完
次回タイ編へつづく→