「旅行記」
トラベルメイト
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リロとハツキの自転車旅行

 

VOL.50 インド(48) 94/03/03 ポンディチェリー

「ザザーッザザーッ」  

真っ青な空、白いさざなみ、ベンガル湾から吹き寄せる風に磯の香りがなつかしい。 

三月三日、マドゥライから、クンバコーナム、チダンバラムを経て、私たちは今、インドの東海岸にあるポンディチェリーに立っている。ゴアを出発してから、四七日が過ぎようとしていた。  

長さ三キロほどの楕円形の土地に、碁盤の目に区画された街並みは、掃除が行き届き、閑静な街角には、ブティックがシックな装いをかもしだしている。下水道や排水溝も整備されているらしく、とても走りやすく、いつものドブの匂いもない。  

ここは50年代にインドに返還されるまで、長い間フランスが統治していたところだ。インドの地べたを喧噪とほこりにまみれて毎日はいずりまわっている私にとって、ここはグラビアでみた地中海の小都市に、夢の中でさまよっている気分にさせてくれる。  

ポンディチェリーは哲学者オーロビンドのアシュラムがあることで有名で、ここでヨガを学ぶ外国人ツーリストも多いらしい。私たちはアシュラムが経営するゲストハウスに泊まり、瞑想でもして心の垢を少しでもおとそうと思った。けれども、宿はどこも魂の抜けたような白人バックパッカーでいっぱい。しかたなく、境界線の運河の向こう側にあるインド人エリアに移動し、そこで見つけた宿に泊まった。その部屋はドアの取っ手から椅子、ベッド、机、トイレの便器にいたるまで、ことごとく壊れていた。

「チアース!」  

私たちは風格のあるフランチレストランで、東海岸到着を祝って乾杯した。ビールはキングフィッシャーが二〇ルピーでゴアとさほど変わらない。私は具がたくさん入っていて安いアメリカンチョプシー(やきそば)を頼んだ。味は残念ながらちょっと塩辛い。つくる人とメニューにもよるのだろうが、安食堂のターリーはもっと洗練されている。インド料理は奥の深い料理だと改めて思った。    

その夜パトリックはこれから先の話をそれとなく私に話した。

「リロ、マドラスから先どうする。僕たちはインドのあとタイへ行こうかと思っているんだけど、もし君達と一緒に旅を続けられれば、僕はほんとにハッピーなんだけどな」
「タイのあとはどうするつもりなんだい」
「東南アジアをまわってから南下してインドネシアを通り、最終的にはオーストラリアへいくさ。」
「そしてオークランドの自宅へかえる?」
「自宅は人に貸しているから、ニュージーランドにすむ家はないんだよ。だけど装備を新しくして、南米を縦断したいと思っているんだ。どうだい、君達ならできるよ、一緒にやらないか」
「残念ながら、そこまで旅をする予算はないよ」

私は顔を横にふった。しかしパトリックは続けた。

「金ならなんとかなるさ」

南米の旅は不安定な政情をかいくぐらねばならない。

「いやいや、ぼくたち日本人はまだいいさ。白人の君達はアメリカ人と思われてズドンとやられるぞ。一緒にいたら命がいくつあっても足りないよ」

私がそういうと、彼は人さし指を横に振って

「そんなことはないさ」といった。
「南米かあ」  

その夜、私はベッドについてから、パタゴニアの風にふかれて一列になって走る四人を思いうかべた。

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