VOL.11 インド
「キトゥニパイセ?(これいくら)」
「そうさな、パーンチ(五ルピー)だよ」
ひんやりとした早朝のマーケットでは、とれたてのさかなを売りに来たおばさんと客でごったがえしていた。皿に山盛りになっているのは、小さな舌びらめだ。ざっとみて四〇はある。
「チャール(四ルピー)ではどう?」
葉月がきくと、おばさんはしばらく考えて、首を横にかたむけた。日本では首をたてにふるところを、インドでは首をかしげるのがOKのサインだ。ここでは、相手が外国人だからといって、でたらめにふっかけてくることはない。
カルドッソの家に引っ越してからは、鶏の声と小鳥のさえずりで目をさまし、マーケットにでかけるところから一日が始まる。青空市場では、魚のほかに肉、やさい、果物がならび、食料品店には、米や小麦粉、牛乳、ナチュラルチーズとなんでもおいてある。生肉は、冷蔵庫がないのでちょっと買う気がおこらなかったが、魚は今朝上がったもので、どれも新鮮だ。私たちの目当ては、八百屋のとなりに店をだすパン屋。ドイツのカイザーゼンメルに似た丸いパンは、とてもおいしくて一個 一ルピーだ。マンダリン(みかん)やバナナも仕入れ、地元紙のゴマンタックタイムズとヘラルドを買って帰るのが日課になった。
「ハウマッチ?(いくら払ったんだい)」
トリンデイトが、私達が買った魚をのぞきこんでいる。
「なに四ルピー?うーむ、物は悪くないからそんなとこかな。このジャガイモは中がいたんでるぞ」
彼は、私達が市場でぼられやしないかと心配しているのだ。私たちはそんなことがないように、買う前に必ず値段を確かめる。その方法は、他の人が買い物しているところを、それとなく横からみるのだ。おつりのやりとりは見てもわからないことが多いが、おおよその値段はわかる。そうしたら他の売り場に行って、それより安い値段から交渉を始める。
コールマンのガソリンコンロに火をつけ、紅茶をいれてパンを軽く焼く。日本から持ってきたセラミックの薄い網がこれに一役かった。バナナやパイナップルでフルーツの盛り合わせをつくる。これに目玉焼きかゆで卵を加えると、スペシャルブレクファストの出来上がりだ。トーストの香ばしい匂いが流れる部屋で、今朝の新聞に目を通す。
「逝去2周年安らかに眠ってください」
「逝去5周年、ご冥福をお祈りしています」
こちらでは、葬式や法事の挨拶を、新聞の紙面で行う習慣がある。さまざまな人の似たような文句が、ずらりと紙面を埋めるさまは、日本の葬式の花輪を思い出させる。家族数名が亡くなっているのは交通事故によるものだ。社会面をみると、こ こにも交通事故の記事が出ている。
ほかには、「マプサで宗教上の争乱勃発、武装警官が出動、道路は閉鎖」といった緊迫した内容のものもある。これから先の旅のことを思うと、ついこうした記事を読んで心配の種を増やしてしまう。けれども、 ニュースはそもそもネガティブな内容を売り物にすることが多い。心配するあまり、事故のイメージにとりつかれてはいけない。案ずるより産むが安し、トライしてから考えればよいのだ。
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