[vol.21]
8月16日(月)青森〜大館〜東京
深夜、青森港に到着。なんか北海道とは雰囲気が違う。虫が鳴き、赤トンボの死骸があちこちにみえる。秋の気配か。行くあてもないのでとりあえず東北自動車道のインターをめざすことにした。ここから次の目的地の大館は高速で1時間くらいですぐだ。
しばらく歩き街灯の下でヒッチ。車はほとんど通っていなかったが、幸い地元の軽四輪にひろってもらいインターの料金所の近くのパーキングまで送ってもらった。
しかし深夜のせいか車は30分に1台ほど。ヒッチをあきらめ芝生で寝た。天気もよく静かで広々して気持ちよかった。
早朝ヒッチ再開。車は多くなったが全然止まらない。直線でスピードがですぎているせいだろうか。2時間ガンバッたがダメ。
高速をあきらめて7号線で大館にいくことに変更。いい場所まで3Kくらい歩いた。だんだん太陽が昇り暑い。なにか飲みたいが店も販売機もない。休み休み進む。
途中で一人の青年がうしろから追いついてきた。大坂の学生でヒッチで北海道にいくという。ヒッチははじめてらしくいろいろやり方を聞かれた。テレビでヒッチハイ
クの番組をみてやってみようと思ったのかもしれない。しかし寝袋も地図も持たずよくやる。これが若さというものか。
大館まで120Kあまり。3台ほどのりついで市内にはいった。電光掲示板は気温35度と表示している。やれやれ。街は夏祭でパレードをやっていた。屋台もたくさ
んでていた。夜には近くの山で大文字焼きがおこなわれ花火大会もある。結構有名らしい。
大館の十二所というところに父方代々の墓所があり5年ぶりに来た。25年ほど前はじめてここを訪れたときもヒッチだった。そのころはまだ父も健在で長いこといっていないので墓所がどうなっているかとても気にしていた。武家だった家の墓所は山の中にあり、菩提寺もなくなり管理は近くの寺にまかされていた。当時、墓所は忘れさられたように草で覆われていた。草を刈り、倒れた墓石をおこし、道をつけた。
それが契機となって、若くして東京にでた父も生まれ故郷を何十年 ぶりかで訪れた。その時ここが自分の帰る場所だときめたようだった。墓所は、現在、殿様と武家の墓とともに手入れされ町の文化財となっている。
父の墓は、代々の墓の脇に名もいれていない小さな石が墓標となっている。いずれ忘れ去られるのが自然の理と思っていたようだ。遺言に従って骨もじかに土中に埋めた。
そんなこともあって寺の当時の住職とはとても親しくなり、行く度に良くしていただいた。しかしその住職も2年前に亡くなり、今は新しい人に変わっている。まだ年月が浅いせいか墓所のことや過去のいきさつはほとんど知らないようだ。話していてこの土地との親しみが薄れてくるのを感じた。まあそれが父の思っていた自然の流れかもしれない。再びここを訪れるのはいつになることだろうか。
夕方、東北自動車道の十和田のインターに向けヒッチ再開。ラッキーなことに松尾八幡平に行く車にあたり、花輪のサービスエリアまで入り込むことができた。サービスエリアの出口はヒッチしやすい。行く方向はきまっているし、スピードもでていな
い。 風太にヒッチをまかせ休んでいると、東京までいくミニバスをとめた。東京まで600K。今回の旅では最長の大ヒットだ。
青森の老人会でディズニ−ランドにいくという。これで朝には東京だ。ほっとして目をとじるとエンジンの快調な回転音が心地よかった。交代のドライバーがいて休むことなく走る。朝4時ディズニーランドに到着。いつも思うのだが夜の高速はタイムトンネルだ。景色がないかわりに目覚めると目的地についている。
ディズニーランドの駐車場は夜明かしして開場を待つ車が200台くらいとまっていた。大型バスも10台くらいいる。みんな車の中で寝ているようだ。さすがに人気スポットだ。トイレなどもある。ホテル代を節約しようというお客さんもこれなら大丈夫だ。
舞浜駅まで歩き始発電車にのった。7時まえ実家の西荻窪に到着。冷たいシャワーが気持ちいい。
Copyright(C)1999 小島春彦
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